獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(10)

 コロナ・ウイルス感染拡大が沈静化しつつあり、大半の地域の「非常事態宣言」が解除された。東京が中心の首都圏と北海道が未だ解除されていないが、それももう時間の問題だろう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言われるが、大騒動が再来しないことを祈るのみだ。その点だけは信仰がある人もない人も多分同じであろうと思う。

 非常時の緊急事態とは言え、政府が支援・助成する経済政策が拡大一途である。善し悪しはともかくとして、これほどの手厚い保護政策を打ち出す余力が我が国にあったのかとの疑念が消えない。仮にもそうであったならもう少し普段の政策運営に反映されて然るべきだと思うのは私だけではあるまい。

 非常事態になったからとの理由で何でもかんでもが許容されるなら、終幕が見え隠れしている安倍長期政権にとって点数稼ぎの好機である。この際だからと"どさくさ"に紛れてあからさまな我田引水策の「国家公務員の定年延長」が挫折した。時の人になった黒川前検事長を政権の援護役に取り込むための法改正である。

 うがった見方をすれば若しかしたらこの公務員法案は衆目を集めるためのダミーで、それに隠れて各種の"胡散臭い"法制度改正が人目を逃れて計画されているのかも知れない。姑息であることをモットーとする安倍"一強"政権お得意の手法だから、他のものが知らぬ間に制度化しても不思議ではない。非常時に便乗する隙間狙いは商売だけではないだろう。

 それにしても毎度お馴染みなのが、コロナ・ウイルス感染騒動に塗り潰された観が強いマスコミ報道だ。この国のマスコミは余程"一辺倒"がお好きらしい。それさえやって置けば報道の使命と責任を果たしていると思われているらしい。今に始まったことではないので、受け手の国民も慣れて不思議に思わなくなっている。

 「何でもあり」の方法・手段は安倍政権の誕生と共に我が国に定着して久しい。凡そ常識では考えられないと思われていたことが次々にひっくり返されて、いつの間にかそれが新しい常識になっている例は枚挙の暇がない。その奇妙な新しい常識に慣らされて奇妙だと感じなくなっている国民に助長されて、「零和」新時代が始まったばかりである。

 新時代の常識論ではどうやら主役は「お笑い芸人」のようだ。安倍政権が世に登場して以来公共放送NHKの変貌が著しい。放送法を盾にして国民から視聴料を強制徴収する権力の横暴が野放しされている。放送の中身はあらゆる番組に「お笑い芸人」やタレントをずらりと並べて、多くの再放送番組でお茶を濁している。

 "低脳化路線"とでも名付けるべき番組編成を、恥も外聞もなく日夜披露し続けている。それにも関わらず「質の高い放送を提供するのを使命とする」と臆面もなく語る認知症(?)会長を頂いて、全く逆のことをやっている。政権内部から批判は一切出ない。故意の誘導策が大手を振って新時代を闊歩している。

 どうやら「零和」の新時代は名実ともに「何でもあり」の時代であるようだ。世界に名だたる借金王国の我が国で、誰も責任を感じず、誰も責任を取らない「大盤振る舞い政策」が行われようとしている。「明日は明日の風が吹く」らしい。何もせずとも天からカネが降り注ぐようだ。それが吉か凶かは歴史に判断を委ねねばならないらしい。

 ゾロゾロとテレビに登場する「お笑い芸人」にネタを提供するためでもなかろうと思うが、予期せぬ事が続出する新時代である。誰でもが主役になったり、脇役になる時代であることは間違いなく、道理で歴史の脇役だった明智光秀を主役に抜擢したNHK大河ドラマがさっぱり面白くない。何やらこの時代を象徴しているようだ。

 NHKは昨年の大河ドラマに続いて、歴史の主役と脇役の判断を見誤っている。無理を通して道理を引っ込める魂胆のようだが、安倍政権の時代の風も程度次第であることを認識すべきだ。それともこの"つまらなさ"も、認知症(?)会長の成せる技なのか。ちっとも面白くない芸のない芸人が増殖して、そのギャラを国民が支払わされているから尚更だ。

 「明日は明日の風が吹く」時代の風は何故か生温い。初夏の陽気と縁遠い日々が続くのはその精かもしれないと思ったりしている。