獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(新年慨嘆)

 東京の正月は概ね穏やかな晴天に恵まれた。例年関東平野に吹く風も今年は何故か遠慮がちで、例年より高めの気温が手伝って「小春日和」の日が続いた。テレビのニュースは札幌の雪が少ないと報じていたが、何やら少し不気味な気がしないでもない年明けである。マスコミはこぞって「東京オリンピック」を持て囃しているが、関連商戦が盛り上がっているのはテレビに登場する芸人たちの口先だけのようである。

 「桜を見る会」と「秋元司議員のIR疑惑」で暮れた令和元年の政局は、天皇が交代して元号が代わった割に新味がなく、国民からそっぽを向かれている野党同士が又々合流するとかしないとかで幕切れとなった。国民感情から大きく乖離しているにも関わらず、認知症労働団体とやらに担がれて国会に議席を得ている旧民主党系野党のことである。政権交代など"夢のまた夢"であるのにも気づかず、相変わらずの"ノー天気振り"が見事だ。

 一方の与党側は"向かうところ敵なし"の一強安倍総理の前に、言葉を失って長い沈黙やら"冬眠"やらから一向に醒めやらぬ面持ちである。政策知見が全く異なる極右の安倍総理に付き従い、"禅譲"とやらで総理・総裁の椅子が与えられると信じている岸田文雄政調会長が、自民党次期総裁選に出馬するのだそうな。こちらも野党に負けず劣らずの"ノー天気振り"だ。これほど"ノー天気"が隆盛ならば、今年もまた未曾有の自然災害に見舞われる気がする。

 海の向こうのアメリカは大統領選だし、ヨーロッパのイギリスはEU離脱が実現しそうな雲行きだ。世界は曲がりなりにも胎動しているのに、東アジアの国々はどこも微動だにしない。世界平和とは凡そかけ離れているのにである。不気味なマフィアの親分の如き指導者あり、白豚そのままに凡そ人間離れしている異常肥満のまやかし指導者ありで、足元の我が国は権力者に尻尾を振る以外能がない"ゴキブリ"たちが国会を占拠している。

 どちらを向いても希望的観測は困難な情況である。ならばせめての"憂さ晴らし"に東京オリンピックを楽しもうとの機運が生じて不思議ではない。誰も期待していなかったのに全国民が熱狂した「2019ラグビー・ワールドカップ日本」の興奮が消えていないのに、今年の「東京オリンピック」は今一盛り上がらない。むしろオリンピック後に到来するであろうと予測される「大不況」の影が見え隠れしている。

 決して好調ではないのに「景気が上昇している」と数字のマジックを駆使して、スポンサー企業の利益増進に熱心な政府の元で、益々拡大する「貧富の格差」を見せつけられている国民は財布の紐を緩めない。"化けの皮"が剥がれているアベノミクスを信じる国民は殆ど居ない。安倍長期政権を支持しなくても、それに代わる受け皿が不在の国民は哀れだ。どんなに悲嘆に暮れようと、現在の野党に期待する国民はまず居ないだろう。

 さりとて前述の岸田文雄政調会長安倍総理の後継者になって光明が見出せるわけではない。万一岸田総理が誕生したならば、この国は文字通りの「暗夜行路」に陥るだろう。「羅針盤なき航海」どころではなくなるのが目に見えている。主体性の欠片もなき人物にこの国を委ねる位なら、「安倍永久政権」を実現した方が余程ましだろう。現下の国政を展望する限り、与野党双方にこの国の舵取りが出来る人物は見当たらない。

 オリンピック後の「大不況」が云々されているが、とっくに我が国は「政治大不況」に見舞われている。一寸先が見通せない「暗夜行路」はとうに始まっているのである。一連の「桜を見る会」と「秋元司議員のIR疑惑」は、何を今更の観が一際強い。利権に無縁な政治が若し仮にも実在するのなら、是非標本を見せて欲しいものである。欲得と打算が付き物の自由主義経済下で、その欲得と打算を抜きにしたら影も形も消え失せるだろう。

 「清濁併せ飲む」と古くから言われるが、それはあくまでも「淸」と「濁」とが対等や同等程度の話で、現代の如く「濁」が圧倒的多数の世には多分に無理がある。民主主義は多数の原則があり、「濁」が多数であればそれが「正義」なのである。冷徹に現実を見れば、古い常識が最早通用しないことが良く分かる。「桜を見る会」や「秋元司議員のIR疑惑」は現在のこの国の常識で、それを"鬼の首を取った"ように囃し立てて喜んでいる野党とは何ぞやである。

 「言語障害」や「知的障害」「発達障害」を疑われる人物たちが、恥知らずに立候補して当選する民主主義とは何ぞやを疑わねばならない。物見遊山の民主主義は千葉県の森田知事ばかりではないのだ。東京都知事選で政局の筋目が変わるかどうか、冬眠から醒めやらぬこの国の民主主義が目覚めて知性と良識を取り戻せるか、悪いがオリンピックの成否以上に気掛かりな新年である。