獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

美味とグルメ番組

「豊かで便利な時代」はグルメ・ブームだ。今や民放テレビに限らず、公共放送NHKさえ率先して食通番組を放送する時代になった。一昔前まではグルメ番組と言えば、メジャーではない「テレビ東京」と相場が決まっていた。売れなくなって暇なタレントを使って、どこの店へ入っても異口同音に「おいしい」と口を揃える"バカ番組"の代表格だった。

 賑わっている店、暇な店がそれぞれに登場するが、決して真実を語らないことから「やらせ番組」の先駆けでもあった。登場する店から広告料を徴収して番組制作している裏側が丸見えで、饒舌な長時間のCM番組でも何故かそれらの店には行列が出来る不思議な現象が起きて話題になった。

 新旧のタレントが訪れれば「○○さんが来店しました」と大々的に宣伝する手法が流行して、テレビの番組名が強力な集客効果をもたらした。その手法は多少目先を変えて現在もなお続いている。世界遺産に登録されるまでは訪れる人影がなかったのに、登録されるやいなや押すな押すなの大行列になった「富岡製糸場」などと同じである。

 内容や中身は何も変わらずとも、テレビに登場したという事実が無限の神通力を発揮するようで、肝心要の「味」の善し悪しは二の次であるらしい。現在放送中のレギュラー番組でBSテレビ朝日の「土井善晴の美味探訪」というのがある。2時間の大型ドラマ同様のゴールデン時間帯に放送されている。

 何度か目にする機会があったが、登場する店の基準が明確でなくて、尚且つ値段が高くて旨い店が次々登場する。番組名からすると"美食"が目的らしいが、見ていて腹が立って以後視聴を止めた。早い話が有名な料理研究家の二代目を使って、今一集客力がない店の店名とメニューを紹介しているだけである。

 お断りするが「高くて旨い」は当たり前の話で、それを大仰に見せびらかすのは"嫌味"である。そんなものはグルメでも何でもない。それを探すのなら"ど素人"でも出来る。「グルメとは何ぞや」の基本的議論が必要だが、単純な話で言えば「安くて旨い」料理こそグルメの名に値すると私は思っている。

 有名であろうとなかろうと旨いものは旨いのである。実例を挙げると私がよく利用する東海大学八王子病院の1Fレストラン「ビ・アンモール」である。円形ガラス張りの外は手入れされた病院の庭だ。洒落た内外装は都心にあれば超一流店である。しかし、和・洋・中を揃えた多彩なメニューの値段は、昔本郷の東大前やお茶の水・早稲田界隈にあった学生食堂並である。

 和・洋・中それぞれの味を食しているが、値段からは想像できない一級品である。しかも追加注文した本格コーヒーがセット扱いになって200円以下なのである。都心のホテル・レストランなどでは1,000円以上する豆挽きコーヒーだから驚きである。繁華街から遠く離れた住宅街なので静かで、風に揺れる樹木を眺めながら至福のひとときを過ごせる。ランチタイム以外の時間帯は空いているので、通院の都度私はそれを狙って利用している。

 「安くて旨い」店は以外な場所にある場合が多い。私の地元日野市役所にある市民食堂もその一つだ。市の直営だから駅近くの立ち食い蕎麦以下の値段だ。一通りのメニューが揃っていて、ランチタイムには"日替わり定食"もある。290円のラーメンで知られた幸楽園が値上げして300円代のラーメンが稀少になったが、ここではまだ残っている。定食類も500円以下だ。

 実例は数々あるがそれらの店がテレビのグルメ番組や、雑誌のグルメ特集に取り上げられることはまずない。世の中には富裕層だけが生活しているわけではない。全体で見れば優雅な富裕層は10%少々で、残りの圧倒的多数は庶民である。現下のテレビ番組や雑誌がどこを向いているかは論を待たないが、一人一人が自分の味覚を信じて磨くことこそ真のグルメであろうと信じる。

 メディアや有名人のカネで動く動向ではない、自分自身の「美味」こそグルメの真骨頂であることに目覚めよう。身近なところに旨い店は沢山ある。そのことに気づけば、テレビや雑誌の情報が信じるに足るか否かも自ずと判明する。「豊かで便利な時代」は他人に惑わされて得るものではなく、自分自身が足を運んで開拓して得るものではないだろうか。