獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「旨い」と「甘い」

 味がするのは食べ物とは限らない。私たちが日頃何気なく親しんでいる日本語も、実に様々な"妙味"に満ちている。同意語の数の多さと変化の多彩さは、永い年月日本人が創意・工夫を施してきたピカピカの「文化遺産」だ。けれどもそのことに気づいているのは残念ながら"一握りの人たち"だけらしく、多くの日本人は「世界文化遺産」に登録されたものが「文化遺産」だと勘違いしている。

 折からの「Go Toキャンペーン」で政府が税金で旅行を支援する物珍しいイベントでも、人々が出掛けるのは決まって有名観光地だ。良くても悪くても有名でさえあれば"お気に入り"のようで、折角の多彩な日本語や日本文化が理解されているとは言い難い現象が数多く見受けられる。多彩であるということは、それだけ誤解や誤用を生みやすい。多くの日本人が日常で使う日本語にも、実に不可思議な表現がある。

 テレビの食べ物番組に出てくる芸能人は、10人居れば10人皆が「甘い」という感想を洩らす。若いタレント諸氏や諸嬢なら"然もありなん"と納得しないでもないが、結構の人生体験を積んだであろうベテラン勢まで"異口同音"である。然も果物や野菜、肉や魚などの食材の別なく、"異口同音"に"宣う"(のたまう)から始末が悪い。テレビに限らず身近な外食店などへ出掛ければ、嫌というほど同じ言葉や表現を耳にする。

 誤用日本語の代表選手の如き「甘い」だが、説明を要するまでもなく甘味を表す言葉であり表現だ。主に果物や菓子類、スイーツなどを語る時に用いられる。糖類に分類される砂糖成分を指す。使われる糖分の多寡で味の濃淡が決まる。しかし、この言葉や表現が実際に使われているのは、糖分を使用していない野菜や肉・魚類など多彩な食材と料理まで広く及ぶ。

 「美味しい」と「旨い」は同じ意味だが、「甘い」と「美味しい」や「旨い」は意味が同じではない。単純にいえば「甘い」が「美味しい」と同じ意味ならば、全ての食材や料理に大量の砂糖を加えれば良いことになる。食材の品質や料理の是非を問わずに、トロトロに甘くすればいいだけになる。それで万人が美味だと認め、納得して食するだろうか。そんなバカなとお思いの方が多いだろうが、気持ち悪くなりそうな言葉と表現を私たちは考えることなく使っている。

 「美味しいもの」は「旨い」のである。誰も異議を唱えない当たり前のことを、誰彼の真似をして妙にしているのは誰だろうか。砂糖がたっぷりの"超甘味"を何人の人が「旨い」と感じるであろうか。主体性が希薄化した現代社会で、妙なものを妙だと感じなくなったら、時代は何を目指してどこへ行くのだろうか。やがて「旨い」ものを口に出来ない日が来るのではないかと危惧している。