獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

短文化社会の現状

 先頃パソコンがダウンしてWindows 10の再インストールが出来なくなった。マイクロソフトへ問い合わせようとサポートへ連絡した。電話での問い合わせの方が早いのは承知していたが、難聴の高齢者は電話が使えない。やむなくメールで丁寧に状況を説明して問い合わせたが、「分かりません」との返事が即答されるだけで、何度やり直しても同じ返事が返って来るだけだった。

 腹立ち紛れに「貴方は日本人ですか? 若し違っていたら日本語が分かる人に変わって下さい」と送信した。このメッセージだけは通じたようで、暫くしてから先方から電話が掛かってきた。40代と思しき男性の声だった。まず最初に電話機の音量を目一杯上げるが、難聴なので聞き取れない部分は繰り返し聞き返すことをお断りした。諒承を得たのでメールで送信した用件を再度説明し、ようやく本題に入ることが出来た。

 教示通りに幾度か各種の操作を試みたが解決には到らず、結論は「お調べしましたが、同様の事例がないのでご期待に添えません」との結論だった。その件については別の業者へ依頼して解決済みだが、疑問が残ったのは日本社会での日本語である。日本人同士が交わす日本語で、どの程度の意思疎通が出来ているのだろうかと大いに疑問が湧いた。

 SNSの急速な普及で大人から子供までがスマホを手にする時代になった。直接会って話すよりも、スマホのLINEやメールで気持ちを伝え合う新しい文化が生まれて久しい。必要最小限の言葉のやりとりで、お互いが自分に都合の良い解釈をするのが"当たり前"らしいが、それで本当に気持ちを分かり合えるのだろうか。

 戦後に急速に導入された民主主義は数多くの誤解や脱線を引き起こした。慣れない流儀に戸惑いながら、文字通りの"手探りの生活"を余儀なくされた。人間社会の基本原則である「相互理解」が、決して簡単ではないことを増えた外国人を前に痛感させられた。それらを補うために日本人の国語教育が簡略化されて学校教育になった。

 これまでの歩みや経緯はともかくとして、日本人が暮らす日本社会で日本語が怪しくなっている。高学歴の若い層が増えた割りに、教育水準が向上したとは到底思えない現象が各所で見られるようになった。単純に言えば「日本語を理解しない日本人」が増えたのである。SNSの簡略化された言葉に慣れ親しみ、それ以外の本来の日本語を顧みなくなっている。

 日本語は世界に類のない複層言語である。同じ事象や現象に数多くの複数の表現を持つ独特の言語である。情緒や風情を重んじてきた先人達が遺した貴重な文化遺産である。国際機関に認定されたからといって、大騒ぎして行列を成す軽薄浮調とは全く別物の知的理解が必要であるように思う。文化としての日本語を知る必要がある。

 冒頭に述べたマイクロソフトの実例が物語るように、今や日本人同士の日本語が怪しくなって、曖昧模糊としたまま何となく通用している。本来の丁寧な表現や奥行きがある敬語が使われた日本語は、相当の知性と教養を備えた層にしか通用しない。本質が疎かにされて、軽佻浮薄な極度の短文が社会現象化している。

 日本人が日本語を丁寧に話すほど、それを理解できない日本人が増えている。特に若年層に多く見られるようだが、商業化された流行と現象のみに特化されて実態が見えない人だらけとの印象を受ける。今や本来の日本語は消えかけた"風前の灯火"であるようだ。