獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

黄葉錦の季節

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 世に言う秋の風物詩は「紅葉」である。しかし、自宅の目の前の天然の森は紅くはならない。全体に黄色が主体で茶色系に色づく。しっかりと緑のまま踏ん張る木々もあって、ごく一部の紅色がアクセントになって、文字通り天然の「錦の絨毯」になる。ゆえに我が家の「紅葉」は漢字で書くと「黄葉」になる。

 随所にある銀杏並木もそうで、決して「紅葉」ではなく「黄葉」である。東京都のマークで、東京大学のマークでもあるので、東京は一際銀杏が多い。輝く黄色は色鮮やかで、表現次第では「黄金色」とも言う。晴れた青空と黄色の銀杏の対比は荘厳ですらある。けれども矢張り「紅葉」と言うのが主体で、「黄葉」と書く人は稀だ。

 我が家の周りは古いUR団地なので、人の手で植えられて手入れが行き届いた並木が多いが、目の前の小高い斜面の森は100%天然で密林だ。地面は陽が入らず目にするのも難しいが、枝葉の僅かな隙間から差す木漏れ陽が無数の筋を成して美しい。その「木漏れ陽」が間もなく終わる。木々が葉を落とすと見られなくなるので"期間限定"である。

 雑木林は日々色合いを変えて目を楽しませてくれる。雑多な木々がそれぞれに終幕を飾ろうと生命力を燃やすので、一日と言えず葉の色が進化する。間もなく枝との別れが始まるので、その切なさに身を震わすように風を受けて身悶える。様々な色が混じり合うように折り重なって揺れる様は、舞い落ちる枯葉と共に圧巻だ。

 朝日を浴びての輝きも見事だし、午後の傾いた日差しを受けて風に揺れる風情も捨て難い。早々と西空に退散する太陽が山の端に隠れ出すと、黄色い葉が茶色に、茶色系の葉がくすんだ赤に色合いを変える。夕闇が濃さを増すに連れて小高い森はシルエットになって、すぐに視界から消える。"錦色のシンフォニー"は終演だ。

 夜のとばりは色彩を奪うが、複雑に入り組んだ独特の「錦」は瞼の奥に残る。明日はどんな表情を見せてくれるのだろうかという期待と共に、漆黒の闇で眠りに着くのである。世間が認めようと、認めまいと、我が家の「黄葉」は未だ暫く続きそうである。重症高齢者は来年もまた、""錦色のシンフォニー"が見聴き出来るだろうか。未練心が消え残る。