獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

小春日和

 朝から晴れて終日「小春日和」の一日だった。身動きが簡単ではない病人高齢者でも、こんな日は自宅を出て動ける範囲を歩きたい衝動を覚えた。久しぶりに、誠に久しぶりに、愛用の杖に支えられて自宅高層住宅を一周する遊歩道を歩いた。秋らしい澄んだ空気を思いっきり吸い込んで、酸素吸入を必要とする重症患者でも酸素パイプを外して歩けた。

 時速に換算すれば多分2㎞くらいだろうが、超スロー・ペースでゆっくり足を運んだ。少し歩いては立ち止まり、杖にすがりながら立ちつくす"病人歩き"だが、他に歩いている人が居ないのを幸いに1㎞少し歩いた。丘の上なのでなだらかな丘陵地に拡がる住宅群の向こうに、高層ビルが目立つようになった市街地が見え、歩を進める毎に遠く微かな景色まで望めた。

 桜の葉が色づき、少し黄色味を帯び始めた銀杏並木を除けば、手前の森も木々は未だ深緑のままだ。それでも森の奥に視線を注ぐと、所々に少し色づき始めた木があった。綺麗に舗装された遊歩道を歩くと、見上げる大きな木の下に小さなドングリが落ちていた。2週間ほど前にも同じ道を歩いてみたが、その時はドングリが見当たらなかった。

 ドングリに混じって小さな赤い実もあり、自然界の静かな物言わぬ営みに思わず胸が熱くなった。遊歩道脇の小さな花壇には花弁が黄色い白い花が咲き乱れていた。スミレではないスミレ色の小さい花が出迎えてくれて、丘の斜面には銀色に光りながら一面のススキが穏やかな風に揺れていた。

 幸せって気づかなくても、こんなひとときが幸せそのものだ。生きとし生けるものがそれぞれに命の限りを生きて、そして物静かにその命を終えていく。誰も気づかず、誰も目を止めずとも、森羅万象すべてが命の賛歌を歌い上げている。芽吹く命と、朽ちてゆく命とが交錯して、短く儚い命の絶唱を奏でている。

 傾きを強める秋の陽は物憂げな影を作って急速に暮れていく。先ほどまで温かだった風が冷たさを増し、ねぐらへ戻る鳥たちの群れが見え始めると、間もなく自然界の一日が終幕を迎える。飽くことなく眺め続けて、何かしら心が膨らんだ気分になった。暫し病人であることを忘れて過ごせたことに感謝し、また元の超スロー・ペースに戻って自宅へ運ぶエレベーターへ乗った。