獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

菅政権意外な船出

 世の中には意外というか不思議というか、そんな摩訶不思議が度々登場する。どうしてそうなったのか、何がどうなっているのか、よく分からないまま見切り発車をして、発車後に行き先や形態を整える例は数多ある。中には発車して進行中であるにも関わらず一向に何をやろうとしているのかが見えず、終始暗中模索のまま終了するケースもある。

 殆どの国民が事前に予想し得なかった菅義偉政権が誕生して、善し悪しは別として長く続いた安倍前政権から衣替えした。殆どの国民が予想し得なかったと書いたが、予想していなかった内閣総理大臣の誕生は、言い換えれば「誰も何も期待していなかった」総理の誕生でもある。マスコミだけがはしゃいで騒ぎ立てているが、多くの国民は冷淡視したままである。

 国会がスタートして恒例のテレビ中継が始まったが、皮肉を言えば国営放送(?)NHKのための行事化していると言えなくもない。どう贔屓目に見てもテレビ中継を見ているのはすることがない"暇つぶし高齢者"くらいだろう。新政権発足で何らかの期待感みたいなものが盛り上がっているのとは、悪いが逆の現象ばかりが目に付く。

 殆どの国民が予想していなかった菅政権の誕生は、多少なりと期待感を持って想像を巡らせるこれまでの我が国政局が様変わりしたことを意味する。簡単に言ってしまえば与党自民党内に次の総理・総裁候補者が居ない。それゆえに功罪色々の安倍前政権が「永久政権化」すると誰もが予測していた。世間知らずでルールをルールと思わない"お坊ちゃま"前総理が、お得意の突然去就を披露しない限り我が国の政局が動くとは考えられなかった。

 毎度お馴染みの総理・総裁候補者は居るが、適任だと思っているのは本人と一部のその側近者のみで、自公与党内でも誰も期待しない"万年総理・総裁候補者"である。真っ当な良識を備えていれば「何ゆえ立候補するのか」と問い質したくなる、見事なまでの"ノー天気候補者"である。国民の誰がこの"万年総理・総裁候補者"に期待するのか、是非知りたいものである。

 そんな我が国政局ゆえこの"万年総理・総裁候補者"以外であれば、失礼だが誰が立候補しても当選する可能性が大だ。安倍前総理の明確な後継指名もないまま、長く安倍前政権を支える裏方役に徹してきた菅官房長官が出れば、派閥力学上からも対抗馬が登場しにくい。自民党の実権を握る二階幹事長と、長く内閣の要となってきた麻生副総理が早々に支持を表明すれば、その時点で決定であるのは誰の目にも明らかである。

 事実が先行して決定済みの自民党総裁選は"猿芝居"である。揺るがない事実が明らかになっても、それでも立候補を辞退せず嘲笑を浴びる"万年総理・総裁候補者"は誠に哀れなピエロだ。例え猿であっても、少し賢い猿なら空気を読むだろう。この"猿芝居"が菅新総理の門出を祝福したとは到底思えない。有り体に言えば"祝福なき"菅政権のスタートであった。

 1年前に、半年前に、誰が現在の菅政権を予測し得ただろうか。後追い是認は陳腐なマスコミの常套手段だが、そのマスコミの事前予想はまるで気象庁発表の長期予報だ。当たり外れが大きくても誰も責任を負わない。「事実は小説よりも奇なり」がここでも登場して、誰もが予想しない菅政権が発足した。政治家としての足場になる派閥に属さず、"一匹狼総理"としての登場である。

 安倍前政権の継承を掲げながら、携帯電話料金の値下げなど国民受けする施策を矢継ぎ早に打ち出した。何を目指してどう進むのか明確でないまま、未曾有のコロナ禍中で目立たぬ発進である。菅総理の思想・信条を誰も知らず、コロナ禍で失われた経済の失地回復だけが声高に叫ばれている。新型コロナ・ウイルスの感染が再拡大しつつある中で、それ以外のことに目が向かない国民は何を期待するのだろう。

 失礼だが誰も予想せず、誰も期待しない菅総理の登場だ。少し期待できそうな新大臣もいるが、与党の一角に貼り付いて離れない公明党の指定席国土交通大臣もいる。前内閣よりは多少やる気が見えるものの、この国の舵取りが未だ見えない。曇天と雨続きだった10月が今日で終わる。明日からの11月は、間もなくやって来る12月は、ようやく晴れ始めた天気のように、近未来に青く澄んだ高い空が望めるのだろうか。