獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

政治と政治家の矜恃

 二度の住民投票で否決されて「大阪都構想」が再度挫折した。松井一郎代表&大阪市長が政界引退を表明して、もう一人の当事者であった橋下徹大阪市長&大阪府知事と同様の顛末で幕が引かれそうである。大阪市民ではない部外者がとやかく言うことではないが、「大阪都構想」そのものの是非とは別に何かしらすっきりしない気分が残るのは何故だろうか。

 我が国の政治の局面では国政・地方を問わず、"頬っかぶり"して物事がうやむやにされて誰も責任を取らないのが「常識」になっているのは衆知の通りである。この小さな日本列島で「大阪府&大阪市」のみが、何やら治外法権の如き異彩を放って異様である。是非は兎も角として抜群の人気を博した橋下徹元市長の登場で、大阪の住民ならずとも全国に「変化の兆し」を広めた。

 その目玉政策とも言うべき「大阪都構想」が何故か地元住民に受け入れられなかった。選挙の度に"向かうところ敵なし"の観さえあった絶大な「橋下人気」は一体何であったのだろうか。住民外の一国民として思わず考えさせられる、そんな謎が秘められている気がしてならない。今更のように「保守」とか「革新」を持ち出しても何の役にも立たないが、その保守と革新を別の角度から考える端緒にはなり得るだろう。

 政治上の保守と革新はとうの昔に逆転現象が起きて、古いと思われている保守が実は新しくて、新しさを看板にする革新が十年一日何も変わらない"石頭体質"であるのはご承知の通りである。その意味で言わせて貰うならば、大阪の住民は"革新的"であったのだと思う。表向きでは変化や革新を望みながら、本音の部分では変化を畏れる「旧守体質」が頑固に息づいていた。

 例えて言うならば、"脱皮しようとしても古い皮が厚くて脱げない"状態であるのではないか。そんな気がする。そんな大阪で産声を上げて国政政党に成長した「維新の会」は、東京とは異なる近畿圏文化を良く理解しないまま、全国一律の戦後日本方程式で読み違いしていたのではないかと思う。司馬遼太郎が「坂の上の雲」に書いた"誠に小さな国"は、長く「皇国史観」に彩られながらも独自の地域文化を築いた。

 古いとか新しいとかを抜きにして、全国それぞれの地域にその地域独特の伝統とプライドが存在する。国と地方の区別なく政治家を取り替えるのは簡単だ。しかし、その土地土地に根付いた文化を替えるのは容易ではない。不可能という三文字が点滅するくらい至難の作業である。表面に見え隠れする様相と、目に見えない本質とは、ややもすると混同されがちだが全くの別物だ。

 維新の会が提唱する「大阪都構想」が住民に否定されたわけではないだろう。本来は国の制度を換えて実現すべきことを、地方自治体が先行して実現しようとした拙速と無理が否定されたと理解するべきだろう。膨大な自治体予算を結果として浪費して終わることになったので、当事者が責任を感じなければならないのは当然だ。しかし、だからといって発案者でもある当事者が次々政界を去るというのは如何なものだろう。

 その道理を適用しようと思えば、この国の行政当事者は全員辞表を書かねばならない。国家としての機能が完全にストップする事態になる。政治の場では潔いことが必ずしも正義や良識を形成しない。お世辞にも肯定する気はないが、目的遂行のためには時には目をつぶって「清濁併せ呑む」蛮勇を奮わねばならない場合もある。熟慮深謀の是非である。

 結果として「大阪都構想」が挫折したので、我が国の行政改革は今後鳴かず飛ばずで推移することになるだろう。明治政府か残した功罪相半ばする遺産の制度は、口先で耳当りの良いことをいう政治家は多数いても、実際に手をつけようとする責任感のある政治家は出て来ないだろう。埃まみれのまま放置されて、100年後の改革を待たねばならないだろう。それが実に残念である。