獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

緊急事態宣言

 世の中の慌ただしさが一段と加速している。日に日に目に見えて増え続けるコロナ・ウイルス感染者数が、楽観の領域を超えてしまった。巨大都市東京が揺れ続けている。国の予測より早く、水際作戦の陣頭に立つ小池百合子都知事の勇姿が際立っている。この非常時に際して、小池都知事が現職であったことがせめてもの救いである。

 政治家の優劣はそのまま国民や都道府県民の生活に直結する。現在夫婦議員が共に検察の捜査を受けている広島県選出の河井元法務大臣を例にするまでもなく、堂々と有権者を現金で買収して憚らない輩が国会議員になり、挙げ句の果ては法律の番人である法務大臣に登り詰めるのが政治だ。

 古くから「事実は小説よりも奇なり」と言われるが、これ以上の"笑いぐさ"が他にあろうか。何も広島に限った話ではなく、この種の茶番は全国津々浦々に満ちている。戦後アメリカ軍によりもたらされた民主主義という大層立派な制度が、70余年を経て善し悪しはともかくとして我が国に定着した。そして数々の抱腹劇を生んでいる。

 言うまでもなく民主主義の主役は、選挙で一票を投じる有権者の国民だ。だけど現実にそう信じている国民が何人居るだろう。殆どの国民は一票を投じても何も変わらず、権力を手にした者だけが"旨い汁"にありつく"からくり"だと醒めきっている。信じるには足りないが、目の前にある制度だから仕方なく行使しているに過ぎない。

 だから選挙に出る候補者が現金をくれるなら、特別拒む理由はないのである。河井元法務大臣のケースが物語るように、選挙区内の町村長が違法と知りつつ現金を受け取って口を噤んでいる。当事者の逮捕劇に発展して、受け取った自分に責任が及びそうになって初めて受け取りを認める。これがこの国の民主主義の実相である。

 是非はともかく住民に直結する都道府県知事や市町村長は、国会議員以上にその功罪が直接露わになる。器の違いだとか、レベルの相違だといって済まされる話ではない。地域住民の意識の高低が、選挙の際の立候補者レベルに直接反映される。低次元の議員や首長しか選択肢がないとしたら、それはそのまま地域住民の「自己責任」である。

 都道府県知事や市町村長の優劣は非常時に明瞭になる。台風禍の非常時に県庁へ登庁せず物議と批判を浴びた千葉県の森田知事のように、張り子の虎は所詮張り子の虎である。元々の中身がないのを知りつつ選んだ住民に、その批判をする資格などない。国難を超える世界渦の様相のコロナ・ウイルス対応は、冗談で済ませられる次元の話を超えている。

 全国の自治体を代表して余りある巨大都市東京は、抜群の政治センスとその切れ味を発揮する小池知事の元で、前代未聞のこの事態に立ち向かう。これだけの器量を擁する政治家が、他にこの国に存在するだろうか。地域住民である都民が胸を張って「我らの都知事」と呼べることが、繰り返すがこの非常時のせめてもの救いである。