獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(8)

 兎にも角にも大変な事態の到来である。小池東京都知事に続いて安倍総理も、異口同音に「緊急事態」を強調している。今やどちらを向いてもコロナの話題ばかりである。世界が未曾有の緊急事態で大きく揺れている。今更のように何ゆえこのようなことになったかを論じても、凡そ意味を持つまいと思う。

 いつのどのような場合でも、必ず事態に便乗して"一儲け"する輩がいる。今回のコロナ騒動は一段とスケールアップしているので、あくどく稼げばそこから得られる利益は計り知れないだろう。世を挙げてコロナ撲滅に前進している最中に、涼しい顔をしてちゃっかり稼ぐその神経は文字通り人間離れしている。

 当節は"稼いでなんぼ"の時代である。それをとやかく言う資格など老人にはないが、実に摩訶不思議なことが次々起こる。その代表例が安倍総理が発表した「緊急経済財政政策」だろう。細かい議論は色々あるだろうが、一言で感想を言えば"善くぞここまで思い切った"と言えるように思う。それを今更のように取り上げて、ああだ、こうだと言うのは誠に大人げない。

 野党の諸公のように、自分たちは何もせず他人がやることにケチをつけるだけの輩は論外として、政治は生き物でありリアルタイムであることが身上だ。この非常時に少しでも多くの人たちが救済されるとしたら、大半の批判は文字通りの"蚊帳の外"だろう。非常時という言葉の意味をよくよく吟味して物言いすべきである。

 私事で恐縮だが、肺癌が転移再発してステージ4の患者でもある高齢者は、理由の如何を問わず若しコロナに感染したら、3日生きられるかの切実な問題である。数ヶ月とか数年とかいう単位ではなく、長くて数日の命の恐怖と直面する。当人はその時はその時だと割り切っているが、世の多くの高齢者が私同様だとは到底思わない。

 曲がりなりにもこの世に生を受け、長くても短くても生きている以上死に急ぐ人はまず居るまい。平時なら未だしも、こと非常時となれば、それぞれの人の命の器量が問われる。世に存在すべき命と、むしろ消え去るべき命の二種類あると思うが、いざ非常時となれば何故か世に存在すべき命が惜しまれつつ消えていくようだ。

 どの命も等しく大切な命であるが、生産性が失われた高齢者から順番に消え去るとは限らない。私を含めて非生産的老人ほど生き長らえる可能性がある。「生」は選べても、「死」は選べない。「死に至らしめる医療や介護機関」は皆無である。普段は死を恐れないと公言して憚らない御仁ほど、いざ非常時になると我先にと延命策に走りたがる。

 病院のベットで何度も生死の狭間を彷徨った人間は非常時を恐れない。生きていることが常に非常時で、いつ消え去るかも知れない自らの命と向き合わざるを得ない。どう他人に迷惑を及ぼさずに消え去るかを意識して一日一日を生きている。自分だけではなく家族や周囲を考え、どう社会に責任を持てるかを考える。

 コロナ騒ぎはいつの日か収束するだろう。けれどもこの非常時は、コロナの感染が収束してそれで終わりではない。その先に待ち受けるものこそが真の非常時で、その時に個人や組織、国家が問われるだろう。私たち一人一人がその重責と向き合わねばならないだろう。