獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

お笑い茶番の河井前法相夫妻

 世を挙げてコロナ騒動の最中に、誠に陳腐な笑うにも笑えぬ「政治ショー」が繰り広げられた。ご存じ広島県選出の国会議員、河井克行前法相夫妻の壮大な選挙違反疑惑である。マスコミ報道によれば兎にも角にも現金をバラマイタらしい。夫が先に衆議院議員として当選しており、昨年の参院選へ県議出身の若妻案里を出馬させた。

 我が国の保守政治はこれまでも数々の醜態を演じてきているが、いやしくも民主主義の土台である選挙でこれほど露骨な買収劇が行われ、それが表沙汰になるという醜悪な実態を曝すことはなかったように思う。裏表が公然化している「建前と本音」社会でも、殆どの議員が選挙の度に繰り返すのは「裏の構図」としてである。

 例えいかなる違法行為が行われようと、当選してしまえば「勝てば官軍」ですべてが「正義」になるのが我が国の常道である。有権者である国民がそれを容認しているので、面白おかしく騒ぎ立てる一部のマスコミを除けば、誰もその責任を問うことをしない。国会で勇ましく質問に立つ野党議員だって、本気で責任を追求した前例がない。口先だけだ。

 善し悪しは別として現代の我が国は、「週刊文春」が唯一の社会正義を担っている観が強い。「反対のための反対」とも言うべき日本共産党主義に追随する大新聞が存在するし、どうせ実現する訳がないと分かっていながら口先で叫ぶ正道に説得力はない。政治の場でかつて存在した保守と革新が逆転しており、今や旧革新勢力は柔軟性を失って硬直化した。

 どんなに社会の表層が変化しようと、民主主義の土台と選挙制度は表向き変わっていない。今も昔も選挙の裏側で巨大なカネが暗躍している現実は変わっていない。それが違法行為であることは小学生でも知っている。有権者である国民の誰しもが分かっていながら、何故かその誰しもが「そんなものさ」と黙認しているのが我が国の現状だ。

 市場経済に毒されて感覚が麻痺している国民に、今更の如く社会正義を云々する気力は残されていない。そんな現状を逆手にとって、白昼堂々と現金をバラマく恥知らずの行為が日本列島を蹂躙している。今回の広島での河井克行前法相夫妻の行状は、たまたま運悪く発覚しただけのことで、現在の我が国保守政治では決して珍しいことではない。

 国民の目がこぞってコロナ・ウイルス報道に注がれる中で、異例の安倍長期政権が命脈を保っている。その足元を支える自民党本部に君臨するのが二階幹事長だ。その親分の側近としてこまめに動く子分の河井前法相は便利な持ち駒である。現職の元参院幹事長である実力者溝手議員への1.500万円の10倍である1億5,000万円がその自民党本部から河井議員へ振り込まれている。

 奇しくも長期政権下の保守政治の断面が明るみに出た。「何をやってでも勝て」と親分に言われて、喜び勇んで地元有力者間を飛び回った河井前法相の姿が、全国の有権者に彷彿とされるだろう。何ら特別のことではないごく普通の日常的選挙風景である。善悪や正邪で言えば、この"茶番劇"に悪人や悪役は登場しない。当事者も、行った行為も、バレなければごく"当たり前"とされて公認されていた筈なのである。

 民主主義の法制度を持つ我が国だが、一体誰がこの河井前法相夫妻の罪を問えようか。「建前」の法制度は司法に携わる人間のために存在し、それをどう運用しようと現実の社会正義を納得させるには到らないだろう。法学者のための法律との認識を免れ得ないし、権力者と為政者が体面を保つ便利なグッズに過ぎなくなっている。

 何か事が起こる度に我が国保守政権は真相を闇に葬ってきた。今回もまた同じ「茶番劇」が演じられるだろう。大凡の国民はその構図を知り尽くして、その顛末に辟易している。大本の親分は常に安泰で、「トカゲのしっぽ切り」は見飽きるほど見せつけられてきた。「罪を憎んで人を憎まず」などという寝惚けた論理が通用するうちは、社会正義が都合良くころころ変わって定まらない。

 要領よく立ち回って旨い汁にありつく処世術は、今も昔も変わらず王道である。今日は誰がどこでそれを行っているか。明日は主役が変わってまた誰かがやるだろう。所詮それが世の中だと言わざるを得ない、そんな少し寂しい時代の実態が垣間見えた。安倍長期政権は微動だにせぬだろう。あからさまな現金買収選挙で当選しても、派閥順送りと論功行賞は不変である。