獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

快晴の温暖日

 世に"11月小春"という言葉はあるが、どう見てもとても11月とは思えない快晴の温暖日だ。地球が間違えたとしか思えないが、直接尋ねるわけにはいかないのが悩ましい。不都合などあろう筈がなく、健康でありさえすれば陽気に誘われて銀杏並木でも歩きたい衝動を覚える一日だ。天気が晴れて温かいだけで人間は幸せになれる。とうしてかは定かでないが、何やら心浮き立つ気分である。

 病人高齢者はやるせないもので、この快晴・温暖に関わりなく4ヶ月ぶりのCT検査の巡り合わせだ。昼前に車椅子リフトを装備した介護タクシーが自宅へ迎えに来てくれて、そのままエレベーターを降りて車椅子で乗り込む。病院到着後も車椅子のままリフトで降ろされ、そのまま病院の検査室へ直行である。全く歩かず座ったまま検査台へ移り、機械任せで検査が終わる。

 検査終了を待っていた介護タクシーへそのまま乗せられて、2時間足らずで自宅へ舞い戻った。長く繰り返している検査は兎も角として、久しぶりに目にする戸外の景色は秋色が一段と深まって居た。桜などの落葉樹は赤く色づき、枝に残る葉が僅かになって落ち葉が歩道に舞っていた。銀杏が黄金色の輝きを増して落ち葉が車道にまで拡がっていた。木々が去りゆく季節を惜しんで、最後のシンフォニーを奏でるが如き趣に車窓外に目を奪われた。

 温暖過ぎて薄もやがかかり、この季節には綺麗に見える富士山は望めなかったが、心象風景として頭部に雪化粧した富士山が見えた気がした。全ての命に終わりが訪れるのは避け難いが、こんな穏やかな日が続くと不思議に終末を忘れる。希望的観測に過ぎないと判っていても、高い青空の彼方に「希望」が見える気がする。同じく「永遠」が現実のように親近感を増すのである。白昼夢のように儚く消え失せても、何故か心に残るのだ。

 何らの変哲もない日常が急に色彩豊かに見えて面白い。それだけで生きていて良かったと思えるから人生は楽しい。刻々と過ぎてゆく時間の合間に、季節を探してみませんか。間もなく終幕を迎える彩り豊かな日々と対話してみませんか。