獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

老人日記(6)

 いつもは気儘な老人の身辺が急に慌ただしくなった。そんな訳で不本意にもブログが一週間のお休みとなった。何卒ご容赦を乞う次第である。

 何分にも肺癌と膵臓癌の術後患者ゆえ欠かさず定期検診を受けているが、この度のCT検査で「肺癌再発の疑い」が確認された。最近は少し動くと"息切れ"がひどいので、若しかすると若しかする可能性を自覚していた。それなので別段驚きや落胆は不思議なほどないが、周囲はそうではないらしい。

 兎にも角にも確証を得るために最新のPET検査を受けることになった。多少の医学知識はあるので、それを承知している医師達は必ず実際のCT画像を詳細に見せてくれるのだが、自分なりの判断だとほぼ確定的と結論づけた。改めて高額なPET検査を受けるまでもないとも言えるが、大学病院なので以後の対処療法を含めてより詳細なデータが欲しいとの希望だった。

 PET検査はご存じの方も多いと思うが、1回に10万円余の費用が掛かる。私の場合は膵臓癌で1度受診しているので2回目になるが、検診精度は格段に高い特徴がある。機器が高額なため実施している医療機関が少なく、東京都内や周辺でも僅かである。実施している医療機関でも通常の医療と異なり、窓口を含めて別途扱いである。

 入院や通院している医療機関でそのまま受診できる例は少なく、大抵は私の場合同様に見知らぬ病院へ出向くことになる。それが結構大変で、何せ癌患者なので移動が容易ではない。大体は遠近に関わらず自家用車かタクシーを利用することになる。息子や娘が居て家族が乗せてくれれば問題ないと思うが、私のように老妻と二人だけでその老妻が歩けない場合はタクシー以外の選択肢がない。

 高額検査だが保険が適用されるので自己負担は少なくて済む。むしろそれ以上に交通費が嵩むのを覚悟せねばならない。少し歩くと"息切れ"が激しく、何度も何度も道端でしゃがみ込みながらの道中は見た目以上に大変だ。病気と付き合うということが如何に大変であるかを、否応なしに実感させられるのである。

 時には激しい"息切れ"で頭がボーとなる。意識の混濁が起こることも珍しくない。それでもどっこい生きている。普通の健常者には見えない景色や人間性の奥底が見えるのは、多分そんな特殊事情によるものなのだろう。生と死の狭間を行き来しながら、いつまで続く命なのかを見つめている。そんな日常でも靖国神社の桜が咲き始めたニュースは伝わる。

 普通の暮らしでは「生きている」ことを意識する機会はそれほどないだろう。胸が熱くなり、涙が流れ落ちるほどに、命が愛おしく思えることも少ないだろう。老い先短い老人の感傷だと笑われるのが精々だと思うが、生きていればこそ悲喜こもごもの思いが湧き、喜怒哀楽がある。人間とは何かと向き合う日々がある。

 森羅万象も最近は多分に気まぐれだが、自然の中で生きていることには変わりがない。さて明日は一体どういう日が訪れるだろうか。そんな思いを馳せながら今日を生きている。