獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

容態悪化

 持病の再発肺癌が急変した。2,3日前に少し距離がある店で重量品の買い物をして、老妻が使っている買い物キャリーを借用してバスを乗り継いだ。自分の年齢や体調を考慮すれば少なからず無謀であったと反省したが、"後の祭り"で翌日早速異変が起きた。

 普段からある息苦しさが尋常でなくなった。簡単に言えば居ても起ってもいられない状態になり、翌日事前予約の大学病院の定期検診を受けた。路線バス3本を乗り継いで何とか病院へ辿り着いたが、2年前に肺癌手術の執刀医だった主治医に開口一番言われたのが「その状態でバスを乗り継ぐのは非常識も甚だしい」だった。

 以前から再三付き添いなしで出歩くは危険だからやめて欲しいと言われており、再発肺癌を確認するためのPET検査を受診した初めての病院でも、やはり同じ注意を受けていた。本人として十分承知していたのだが、付き添いの老妻が動けなくなってからは代役が居ないのでやむを得ず単独行動していた。

 肺癌の転移再発が確認されたものの、高齢に加えて限界を突破している基礎体力で再手術は難しく、敢えて抗がん剤放射線治療を見合わせて居た矢先である。曲がりなりにも自力で動ける現状を維持させることを最優先してくれた大学病院の好意が、突然暗礁に乗り上げる結果になった。

 我が儘患者を自他共に認めてきたが、主治医を中心にした医師団の判断に従わざるを得なくなった。病状を考えれば普通の生活が営めていること自体が奇跡的なことで、その認識が足りないと厳しく指摘された。肺癌手術の一週間後に膵臓癌手術を連続して受けた記憶は生々しく残っており、医師団の指摘は理に適っており反論の余地はなかった。

 いつどういう事態が起きても決して不思議ではない容態であることは自覚しているが、十分とは言い難くてもそれなりに動ける体調をつい過剰評価していた報酬である。急遽即座に対応できる近所の病院を探すことになった。物理的に大学病院への通院は無理だと判断され、近場の「かかりつけ医」にバトンタッチする羽目になった。

 急遽大学病院側のケースワーカーソーシャルワーカーが動員され、翌週の検査通院時に打ち合わせる仕儀と相成った。何事も油断大敵で犯した過ちは取り返しがつかない。最近になって少し動けるようになった老妻の単独生活も無理なので、引取先の介護施設も探さねばならず事態は思いがけない方向へ進展し始めた。

 地元自治体の福祉事務所が中心になって関連する窓口と連携して支援してくれることになったが、いつかはそうなるであろうと漠然と予想していたことが急に現実化した。我が身の終末へ向かって確実な一歩が刻まれることと相成った。我が儘患者もさすがに観念したが、それでもこの年齢だからとか、容態が容態だからと投げ遣りにするつもりはない。

 悪足掻きするつもりまではないが、相変わらず最後の最後まで不可能に挑戦してあがき続けるのである。呼吸が停止し、心臓が止まるまでは、例え僅かな可能性でも何もせずに諦めるのではなく、無駄な努力と分かっていても多分挑戦するだろう。因果な性分と言えば、誠に因果な性分である。