獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

難聴者の音楽

 難聴者に音楽は存在するのかとの質問を受けそうなタイトルだが、危うい"死に損ない老人"だって音楽を聴いている。10年程度の長い時間で少しずつ進行してきた「難聴」であるが、耳鼻科の専門医の診断は「加齢による聴覚神経の衰え」である。自然現象なので誰にも大同小異起こり得ることだと言われていた。

 厄介なのは耳の鼓膜の障害のように治療や改善策がないことだ。補聴器を使用しても聴力が改善されるわけではないので、利用を勧めないと言われて当初段階から断念した。加齢と共に症状が進行するので、個人差はあるが次第に聴力が失われる旨を宣告されていた。日常生活での不都合は会話が困難であることに加え、電話やテレビの音が聞き取れない。

 その状態で音楽を聴くなど無謀そのものだが、何事によらず簡単に物事を諦めない性分の老人は例によって色々な方法・手段に挑戦した。世の中の常識を無条件に受け入れるほど素直ではないので、無理だとか、駄目だと言われると余計に挑戦して見たくなるのである。まず自分なりに可能性がありそうなことを次々実際にやってみるのである。

 「難聴」についても左右の耳の聴感の違いを確認し、その聴力差に対応して音源と向き合う角度を変えた。高齢者特有のその日の体調の違いも微妙に影響することが分かったが、更に言えば栄養状態の差も影響するのが確認できた。ミクロ・マクロ単位の見過ごされやすい違いも、高齢者にとっては時と場合によって見過ごせないのである。

 一般的な難聴は物音はある程度聞こえるが、人間の声が聞き取り難い状態になる。聞こえるのは聞こえるのだが、何を言っているのか言葉の判別が出来ない。ウーとかワーとか短音の連なりに聞こえるので、相手が何を言っているかが分からない。難聴でも全く聞こえない聴力障害者とは違うので、微かだが音楽を聴ける可能性は残されている。

 残っている僅かな聴力に音感を与えることが果たして可能であるのか否か。人間の声を聞き取れるかどうかを簡単にできるテレビの音声で試してみた。普通のヘッドフォンでは音量を上げると音が潰れるが、骨伝導方式のヘッドフォンを用いたらかなりの程度聞き取れるようになった。但しこれは装着する部位による違いが大きいので、自分なりのポイントを探す必要があるようだ。

 骨伝導方式も万能ではないので、大枚の投資になる同方式の補聴器の購入は耳鼻科医に止められた。全く効果が得られないことも大いにあり得るので、無駄な投資はやめた方が無難だと助言を受けた。従って日常会話での効果は確認していない。前置きが長くなったが本題の音楽については、乏しい聴力に望みを託して音感を記憶させる訓練をしてみた。

 大小2組のスピーカーを用意し、大きい方はオーディオ・アンプを介して音が出るようにした。直接CDやSD、USBメディアの再生が出来るが、聴き比べるためパソコンの音声出力も直結した。小さい方のスピーカーはデジタル・アンプを内蔵したタイプを選び、デスクトップパソコンの音声端子に直接取り付けた。

 これで同じパソコンの音源を聴き比べ出来るようになったので、iチューンのmusicライブラリーを利用してクラシックとジャズを一日中流し続けた。団地だが隣近所に音が漏れない構造の8階なので、ガラス戸に厚手の防音カーテンを引いて少しボリュームを上げた。最初の一週間くらいは明瞭に聞き取れず、大きめの雑音に聞こえた。

 二週目の後半あたりから少し変化が確認され、大きな雑音がクラシックのオーケストラ演奏であるのが分かり始めた。難点は楽器の種類で聞こえ方に差があることで、ピアノなどの打楽器は比較的明瞭だが、バイオリンやチェロなどの弦楽器は平坦な連続音に聞こえるのである。室内楽やピアノ・ソナタなど色々音源を変えて聴いてみた。

 ピアノや管楽器が多いジャズは比較的よく聞こえるので、アコースティックが主流だった50年代・60年代を聴いた。耳にご無沙汰になっている懐かしい面々が次々登場して胸が熱くなるのを実感したが、同時に脳の聴覚神経が蘇った感じがした。難聴であるのを忘れるように1音1音が生々しく響くのである。

 実際に鼓膜を通して音が脳に伝わっているとは考え難いが、実感する音は紛れもなく音楽なのである。繰り返し毎日様々な音源を流し続け、一部で音が潰れるもののクラシックのオーケストラ演奏も必要十分に聴けるようになった。脳の音感が働き始めた副産物でテレビの音声も少し分かるようになった。 ヘッドフォンなどの補助手段なしでもニュース音声程度は大半分かる。

 日常会話やテレビドラマの音声を聞き取るレベルまでには到達し得ないが、曲がりなりにも楽器演奏は聴けるようになった。老妻との会話にも事欠く高齢者が、何故か音楽が聴けるのである。中学生時分から70年聴き続けてきた音楽との旧縁が復活した。思いっきり大きな声で雄叫びを上げたいような気分で、高齢者の単調になりがちな日常が急に輝きに満ちている。

 ご近所への手前から早朝と深夜は遠慮しているが、我が家は目下クラシックとジャズが終日流れている。体調の善し悪しは日毎に異なるが、音楽だけはエンドレスに鳴り続けている。再発肺癌の息苦しさと付き合いながら、時折布団へ横になりつつ鳴り続けるピアノの音を聴いている。遙かに遠い中世ヨーロッパに思いを馳せている。

 生きていることは相変わらず素晴らしい!!!