獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ipod一新

 高齢者が難聴対策の一環として始めた音楽リスニングだが、難聴と一口に言っても色々ありで、高い音や低い音などの特定の周波数が聞き取り難くなる傾向が一般的のようだ。私の場合もご多分に漏れずの典型例で、耳鼻科で聴力検査を受けると高い音と低い音に加えて特に話し声領域の中音域が欠落している。

 加齢による聴覚神経の衰退なので治療法はないと告げられ、それならばと中学生時分から親しんで来た音楽と親しむことで少しなりと「音感」を復活させられればと一縷の望みを託して、長くご無沙汰していた音楽リスニングを再開した。医学的論拠は兎も角として少しでも音が分かって理解できれば"御の字"だとの認識で始めた。

 はっきりした根拠があってのことではなく、あくまで個人の希望的観測の域を出ないが、長年様々な音楽現場に関わって本物の音に接してきたという自負はあるので、それらの音が脳と体に刻み込まれていれば呼び戻せると考えた。無駄な努力であっても、何もせず仕方ないと諦める性分ではないので、やれることはまずやって見るいつもの"癖"である。

 当初段階では巨大な音の塊と認識されていたものが、時間を経て次第に個別に分かるようになった。楽器の音がそれぞれの固有の音だと認識できるので、音楽を聴くことが楽しいと久々に感じた。毎日の日課として終日音楽を流し続け、とにかく音の中での生活を続けた。4ヶ月を経て最後の難関であった歌の歌詞も、かなりの部分判別出来るようになった。何事も実際にやってみるものだと改めて思った。

 兎も角も終日音楽と接しているためには膨大な音源が必要で、ジャンルを横断しているアップルのiチューンが便利に利用できた。無料・有料の別なく活用できるmusicライブラリーをフル活用した。ジャズとクラシックに加えて様々な歌も耳にした。POPSや演歌の別なく新旧の日本の歌を数多く聴いた。それらの過程で10年前の愛用ipodが限界を露呈した。最大の問題は容量不足でmusicライブラリーに集約した膨大な音源を取り込めなくなった。

 頻繁に起きる電池切れもあり、大容量の最新モデルに買い換えた。これでコピーが出来ないiチューンの課題を克服できた。ミニコンポへLINE接続してパソコン接続のミニスピーカーとは異なる全音域の大音量再生が可能になった。音量を上げることで個々の音源の質の善し悪しも判別できるので、歌や演奏の質が手に取るように分かる。

 この時代の音楽が本当に音楽なのか否かには大いに疑問を感じるが、兎も角も難聴だと諦めざるを得ない窮地からは一応脱出できた。その単純だが結構重い現実が無性に嬉しく、最新のipod touch第7世代に親しみながら楽しみが増えた日々を過ごしている。相変わらず人の話し声が聞き取り難い難聴の宿題は残っているが、少しだが歌に乗じて判別できるようにはなった。

 音楽そのものがよりリアルに分かるようになると、凡そ音楽とは言い難い雑音の類いが氾濫している現状に腹立たしい思いが強くなる。その点に関しては一家言どころか、10家言も100家言もあるので、別の機会に譲ろうと思う。今日のテーマである難聴は多くの高齢者に共通する問題であり、しょうがないと諦めている世の御仁に若干なりと希望を与え得たとしたら、それだけでも望外の幸いである。