獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

高齢者の視聴障害

 高齢者は何かと厄介である。人それぞれで個人差が大きいと思うが、私の場合は眼に「加齢黄斑変性」があり、加えて左耳が殆ど聞こえない「難聴」がある。「加齢黄斑変性」は10年位前に白内障の手術の際の眼底検査で確認された。初期だったので自覚症状は全くなく、症状の進行を抑える効果がある保険適用外のサプリを病院で勧められ飲み始めた。

 その効果はデータで確認できないが、右目は数年前からやはり症状が出てきて"ぐにゃぐにゃ"状態になったが、左目は何故か症状が出ずに現在に到っている。自然矯正で何とか生活には支障が出ていない。左右の視力差が大きいので、長時間の根を詰めた作業などでは頭がくらくらする。慣れるにつれて多少緩和されたが不便は解消されない。

 耳の「難聴」は更に厄介で、病院で各種の聴力検査を繰り返しているが、検査の都度症状の進行が見られて音が遠くなる。解決策はないものの多少なりと症状を改善すべく、左耳の鼓膜へ極小のチューブを取り付けている。これで閉塞感はなくなったが依然として聴力に大きな変化はない。

 片耳が聞こえなくなると残る片方も聴力がガタ落ちする。個人差が顕著なので医学的な根拠は得られにくいが、高齢者特有の聴力神経の衰退に起因するらしい。医師の説明だと鼓膜の異常は各種の対症療法があるが、聴力神経の衰退は治療法がないそうである。鼓膜の異常は音を大きくすれば改善されるので、補聴器を使うことでひとまず解決するらしい。

 厄介なのが私のような高齢者特有の症状で、通常の会話が出来ないので生活の不便はこの上ない。身近な家族との会話に事欠き、テレビの音声が分からない。電話も使用できないなど実質的な障害者になる。完全に聞こえないわけではなく、音の性質によっては多少聞こえるものもあるので余計に厄介である。

 鼓膜が駄目ならとの希望的観測で「骨伝導」という方策に辿り着いた。その方式のヘッドフォンがあるというので早速買い求めた。通常のヘッドフォンは密閉式と開放型それぞれ試して所有しているが、全体的な印象として"籠もった音"になる。聞き取れないので音量を上げると単音の"のっぺり"した音になって、余計聞き取れないのである。

 耳鼻科の専門医に「骨伝導」を相談したら、「基本的には聴力神経が補強されるわけではないので、聞こえが良くなる保証はない」と言われた。「それでも個人差があるので、価格的に納得できるなら実際に試して見る価値はある」とアドバイスされた。「溺れる者は藁をも掴む」の例え通りだが、とにかく使ってみることにした。

 ブルートースの無線方式なので邪魔なコードはないが、テレビの音声を飛ばす発信器をテレビ側に取り付けねばならない。この発信器がまた厄介で、家電量販店の通販で調べたら価格的にかなりのバラツキがあった。ブルートース無線の宿命的課題である「音の遅延」と音質に拘ったら、1万円を超える機種になった。

 携帯電話にブルートース無線で接続して音楽を聴いているので、通常のヘッドフォンより耳を塞がない分明瞭な音が聞けるのは知っていた。振動を頭の骨に伝えて聴力神経へ届けるだけあって、音量を上げるとかなりの「音洩れ」が発生する。家庭内で使用する分には問題ないが、スマホや携帯型の音楽プレイヤーでの使用は注意せねばならないようだ。

 ブルートースの無線発信器が電池ではない電源方式なので、その分強力で安定した動作をして価格相応に働いてくれている。10メートル以内が殆どのブルートース機器の到達距離も30メートルと強力で、移動しても接続が変化しない。一度ペアリングして接続すると、その後は電源スイッチを押すだけで「骨伝導ヘッドフォン」へ自動で接続する。

 基本の「難聴」が解決したわけではないが、通常のヘッドフォンに比べて小型で軽便なので愛用している。音の遅延を軽減するため、テレビ側と発信器は光デジタル端子へ接続している。そのせいかどうかは確認できないが、広帯域でクリアな音質が得られている。ヘッドフォンにマイクが内蔵されているので、携帯電話での会話も可能である。

 良いことずくめの「骨伝導ヘッドフォン」であるが、出来るだけ頭蓋骨に密着させる必要があるため、顔面に肉付きが良い人や女性は要注意のようだ。6時間の使用が可能なリチウムイオン電池が内蔵されているが、韓国製なのでメーカーへの持ち込み交換は難しいらしい。防水処理が施された便利な機械だが、どの程度の寿命があるのかはまだ確認していない。

 世を挙げて高齢化の大波が押し寄せる時代である。通常なら問題なく過ごせる生活の各所に支障が出るのを避けられない。かつて「家電大国」であった我が国だが、今やその面影は消え失せ、効率と利益のみに目が向く時代になった。国民の暮らしに何が必要であるかを考えるメーカーが見当たらない。需要と供給の初歩も理解せぬ産業界に未来はあるのか。高齢者は衰えた目と耳で、しっかりとこの国の現状を見つめているのである。