獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

高齢者の難視聴

 寄る年波で「難聴」が本格化した。片耳がほぼ聞こえない。テレビの音声も通常音量では殆ど分からない。徐々にではあるが急速に進行した「難聴」に、手をこまねいていた訳ではない。耳鼻科の検査で補聴器の効果が期待できないと判り、愈々と観念せざるを得なくなったが、これまで"無駄な抵抗"を各種試みてきた。

 デジタル放送に対応した液晶テレビになって、ブラウン管時代と違ってスピーカーの位置が変わった。ブラウン管時代は前面に取り付けてあったスピーカーが、液晶の大画面になると画面下になった。然も下向きなので音声が籠もった音になる。健常者でも聞き取りにくい音は、身体機能低下で聴力が衰えている高齢者は余計聞き取りにくいのである。

 そこへ持ってきての「難聴」なのですこぶる厄介だ。手始めに音が直進するように外部スピーカーを設置した。更に音が明瞭になるよう高温専用スピーカーがついた2ウェイにした。テレビのスピーカーとは別に音量調整が出来る機能も加えた。かなりの大音量まで対応出来るようになったが、だからといって「難視聴」が解消されたわけではない。

 音量が大きくなると耳の中で反響して意味不明になる。楽器の音などはある程度分かるが、人の声はモグモグして判別できない。距離を少しずつ変えて色々試して見たが、大同小異で確認できる効果は得られなかった。やむなくヘッドフォン使用も試したが、密閉型の機種だとやはりモグモグする。開放型だと多少聞き取りが楽だとの程度の違いだ。

 ヘッドフォンは耳との距離が近いので、最初の内は聞こえていても時間が経つと耳が疲労するのか聞こえなくなる。音量を上げてみても逆効果だ。音が確認できないので勢い画面の字幕に頼らざるを得ない。その頼みの字幕も、リアルタイムのニュースやスポーツでは画面と一致せず、何が何だか訳が分からない。

 字幕は録画すると殆ど出ないので、否応なしに民放のうるさいCMや、やたら饒舌なNHKの繰り返しニュースなどを、我慢して見続けねばならない。まるで視聴覚障害者は全員が暇で、無条件にリアルタイムでテレビを見ると決めつけられているようだ。録画するなどもっての他と言わんばかりだ。

 加齢による身体機能の低下は如何ともし難いが、視力にも難がある高齢者はお手上げだ。新聞の文字が読みづらくて購読を止めたが、パソコンやスマホのように拡大機能が簡単に使えれば便利だろう。世の中は必ずしも需要と供給が一致していないが、皆が同じ方向を向いて同じことをやるのでは現実に即応できぬだろう。

 無用なものを売るのに費やす膨大なエネルギーの、数分の一でもこちらへ向けてくれればと願って止まない次第である。8Kだ4Kだなどと、訳が判らない誰のための技術か分からぬものより、差し迫った需要が目の前にあるのに気づかないらしい。現代の最先端技術は誠にもって宛てにならず、役に立たない。

 目と耳に障害が出て、希望してもテレビが見れない高齢者が現在は多い。それでも自宅にテレビがあれば視聴料の支払い義務が生じる。見たくても見れないのにである。現代社会は可笑しなことが数多くあって、それとは反対にテレビに出てくる芸人はつまらない。芸がなくても芸人で、テレビに顔を出すだけで多額のギャラが入るらしい。そのギャラを払うため国民から何が何でも視聴料を取り立てるようだ。

 誰も高齢者になりたくてなったわけではない。それなのに高齢者には不愉快なことが一杯ある。見たくても見れないテレビと、その見れないテレビの視聴料を強制的に徴収する公共放送だというNHK。理屈に合わない不合理が大手を振って闊歩しているこの時代は、一体何様のための時代なのだろうか。