獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

歌の徒然にBORO

 少し前になるがテレビで日本歌手協会の「12時間コンサート」を視聴した。とは言っても、いくら暇な高齢者でも12時間テレビの前に張り付いているわけにはいかないので、録画して後日早送りして見たい部分だけをピックアップして視聴した。善し悪しは別として私が希望する歌手と楽曲は時間にして10分足らずだった。

 何やら昔どこかの局がやっていた年末コンサートに似て、オールド歌手やら"超"オールド歌手までが登場して昔の歌を歌っていた。申し訳ないが古ぼけた懐古趣味はないので、それらの部分は早送りの後で編集して"部分削除"した。残った10分足らずの録画は、テレビなどでは殆どお目に掛かる機会がない大阪のシンガーBOROである。

 メジャーなシンガーではないのでご存じの方は少ないと思うが、グループサウンズ時代に人気を博したテンプターズを解散後に俳優となった萩原健一、略称ショーケンが、こよなく愛して歌唱した「大阪で生まれた女」の作詞・作曲者である。少し前に演歌の坂本冬美がアルバム「また君に恋している」でカバーしている。

 BOROは1960年代の後期にロック・シンガー内田裕也に見出されて歌手デビューした。当時の関西はフォークが主流で一時代を画したが、メジャーになって東京へ進出したグループやメンバーが多い中で、R&Bにこだわって歌い続けた上田正樹憂歌団などと共に大阪を代表するシンガーの一人である。どう取り違えても上沼恵美子では決してない。

 そんなBOROが、よもやテレビに登場したのには驚いた。テレビの歌番組とは最も遠く、無縁だと思っていたので、久々にテレビ画面で逢えて感無量だった。昨年亡くなった二人の恩人と友に捧げられた2曲を聴く内に、胸が熱くなって涙が流れた。内田裕也に捧ぐと題された「朝日の当たる家」はニューオリンズ・ブルースの古典的名曲で、裕也さんがステージ上で声を振り絞っていたのが甦った。

 この「朝日の当たる家」には幾つかの思い出があり、日本で最初に耳にしたのは後に俳優になった若き日の尾藤イサオの熱唱だった。以来忘れ難く心に焼き付いている。何人かの歌声を耳にしたが、尾藤イサオの熱唱を超える感動には無縁だった。内田裕也さんと出会ったのは確か日比谷野音のライブだったと思うが、その後各地のコンサート会場やラジオ局などで度々会った。

 裕也さんのライブでは欠かさず「朝日の当たる家」が歌われた。流れる汗を拭おうともせず狂ったように歌う裕也さんのステージ・スタイルは独特で、熱狂した観客が総立ちになった。お断りするが、現在の「やらせ総立ち」とは全くの別物である。私を始めとするスタッフへの気配りも裕也さん独特のもので、良くも悪くも"自己流"を貫かれた。

 BOROの「朝日の当たる家」はさすがと思わせる年季が入った本物のR&Bで、裕也さんを彷彿とさせながら裕也さんを超える"さりげない熱唱"だった。随分久しくこういう本物の歌に出合っていないなと改めて感動した。世を挙げてやたらに派手な偽物歌唱が氾濫する時代に、予想だにせずBOROに出合えたことが堪らなく嬉しくなった。

 2曲目の「大阪で生まれた女」は、ショーケンに捧ぐと題されて自作の曲を熱唱した。歌の直前に天に向かって突き上げられた右手は、亡きショーケンへの哀惜の情であろう。綺麗にアレンジされて歌いなぞった坂本冬美とは全く別物の、黒人霊歌に通じる本物のブルースが聴けた。額に汗して歌う老いたBOROを視聴して、今日まで生き長らえたことが決して無駄ではなかったと改めて実感した。