獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

蝉さんのお葬式

 夏の終わりである。涼しくなった陽気に誘われて久々の散歩に出た。あちらこちらで百日紅の花が咲いている。家々の庭には赤いものや白いものなど色々な小さな花が、往く夏を惜しむかのように咲き乱れている。他人の家の庭を覗き込む"変な老人"なのに、時にはその家の奥さんと思しき女性から「お休みになって行きませんか」とお声が掛かる。

 見知らぬ他人なのにと思いつつ、嘆かわしいと言いつつも日本人の人情は廃れていないと嬉しくなったりする。図に乗ってご好意に甘えることは遠慮するが、うっすらと汗ばんだ額や背中がスーと涼しくなった心地がする。滴り落ちるような樹木の緑の合間から差し込む薄日が、小さな公園に差し込む午後は風が心地良い。

 公園と言わず道路の街路樹の下にも、動かなくなった蝉さんが一杯落ちていた。中には羽をバタバタさせているが、懸命に飛ぼうとしても飛べないものも見られた。散歩の歩を進めるうちにおびただしい数のそうした蝉さんが眼に入ったので、それらを拾い集めて近くの小さな公園の片隅に「蝉さんのお墓」を作った。

 落ちていた木片で土に穴を掘り、拾い集めた蝉さんの死体をうつぶせに並べた。公園と道路の境のフェンス沿いに小さなオレンジ色の花が咲いていたので、合掌して花に詫び手折った。蝉さんたちの上に花を置いたら急に華やいだ雰囲気になった。近くの森の道から子供たちが現れ、「何をしているの?」と問いかけられた。

 「短い一生を終えた蝉さんたちのお葬式をやるの」と答えたら、興味深げに目を輝かせて「お手伝いする」と言い出した。「みんなで手を合わせようね」と伝えて、私は目を閉じて「延命十句観音経」を口の中でつぶやいた。唱え終えて目を開けると子供たちも小さな手を合わせていた。

 大きな蟻さんや小さな蟻さんが沢山集まってきた。白や黄色の小さな蝶もやってきた。名前は知らぬが森の小鳥さんもやってきた。交わす言葉はないが、みんなで蝉さんたちを見送った。穏やかな風が頬を撫でて通り過ぎて行った。「もう一度手を合わせようね」と子供たちに声を掛け、みんなで合掌して穴の中の蝉さんへ土をかけた。

 蟻さんたちは暫く動き回っていたが、蝶さんや小鳥たちは去った。「さよなら」と手を振りながら子供たちも立ち去った。私は何故か立ち去り難い思いで暫し立ち尽くしていた。ジージーと声高に合唱する蝉たちの声は「難聴」の老人の耳にも届いて、「夏の終わり」を告げていた。

 少し清々しい気分になった私は、ゆっくり、ゆっくりと、帰路についた。雲に隠れていた太陽が大きく西に傾き、雲の隙間から茜色の西日が射していた。井上陽水玉置浩二の「夏の終わりのハーモニー」が耳の奥で聞こえた気がした。夏の終わりの何気ない一日、何気ないひとときであった。