獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

さだまさしコンサート2019


 テレビで「風に立つライオン基金2019」と銘打たれた「さだまさし」のコンサートを録画して見た。敢えて録画したのは最近の習慣で、見るに耐えない、聴くに耐えない類いのものが多いからである。録画だと不要画面を飛ばし見できるので、つまらないのを我慢せずに済む利点がある。

 最近の傾向としてクラシックを除けば、"真っ当だ"と思える内容のものが極度に減った。70年代以降音楽不況に見舞われている我が国の音楽シーンだが、正確に言えば不況に見舞われているのではなく、不況を招いているというのが実態だろう。黄金期と言われた70年代から生き残っているビックネームも少なくないが、「さだまさし」もその一人だ。

 正直に言わして貰うと近年の「さだまさし」は実につまらない。彼に限らずだが、同世代の生き残り組に共通している特徴だ。初期の純粋で新鮮だった若々しい感性は望むべくもないが、率直に言うと過去の遺産を食い潰していると酷評せざるを得ない。もっと言うなら"醜態を曝している"とも表現できる。

 アーチストと呼ばれる人間は自分に責任を負わねばならない。とうの昔に錆び付いて鈍化した感性を衆目に曝すべきではない。過去のイメージという"亡霊"を追いかけるファンは一定数いると思うが、音楽性こそが生命線であることを再確認すべきだ。感性で勝負できないならさっさと引っ込むべきである。

 自作曲一本で勝負できないから、やたらに訳が判らぬゲストを並べてお茶を濁そうとの思惑が丸出しだ。そこまでしてカネ儲けの打算が必要なのかと問いたい。感覚や感性が売り物の人間は、それらが退化すると決まって"太る"のである。そんな自分の姿を"見にくい"と判断することさえ出来なくなっている。

 楽曲については触れるまでもない。このフレーズなら売れる。このコード進行なら売れる。次いでこのアレンジならとなる。新作曲の殆どはそんな打算が随所に見え隠れする。上辺は綺麗でも感動を誘う片鱗を見つける前に聴くのを止める。何度繰り返してもイメージダウンにはなっても、イメージアップには決してならない。

 "死んだ音"を並べられて喜ぶ程度のファンにすがっている醜態に、早く気づいて欲しいと願うだけだ。