獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

膵臓癌闘病記

 タイトルは「膵臓癌闘病記」としたが、私は末期の肺癌患者でもある。現在は誰しもが目を疑うほどに元気だが、2年前のこの季節には他人に言われる前に自分自身で死を覚悟していた。肺癌・膵臓癌共に現在も2ヶ月毎に術後検診を受けている。大学病院へ行くたびに「癌患者の会」や「癌サロン」などへの出席を要請されている。

 通常は手術を終えて歩けるようになるまでかなりの時間を必要とするらしいが、私の場合は肺癌と膵臓癌の手術がほぼ連続したので入院生活が長期化した。なので必然的にベッドで寝たきり生活が長くなったのだが、その割りには回復が早かった。リハビリ科の医師や療法士が驚くほど運動機能が失われていなかったのである。

 入院していた病棟の看護師たちが口を揃えて言うように、廊下やナースステーションの前を「疾風の如く」歩くと評判であった。80歳を目前にして肺癌と膵臓癌の手術を連続して受けるのも異例だったけれど、術後の回復には主治医たちさえ目を見張ったらしい。医学知識がある分だけ、担当医の言うことを素直に受け入れる患者ではなかったが、異例ずくめの入院生活と退院だった。

 そんな経緯があるので何度も勧められたが、「癌患者の会」や「癌サロン」などへは出席を遠慮してきた。通院している地元の市立病院と隣市の大学病院両方で出席を希望されているが、周囲の患者さんたちと落差が大きいので敢えて辞退してきた。それぞれ病院の待合室で眼にする患者さんたちは一様に暗く悲惨で、その方々が集まる場へ明るく元気な元患者が出席するのは場違いに思えたからだ。

 闘病記と言うほど大袈裟なことではないが、体験上言えることは「癌患者」になって悲観する事はないことだ。現にこうしてピンピンして生きている人間がいることが、何よりもそれを証明している。然も私の場合の症例は長期にわたっての肺癌が末期で、年齢的に手術は困難なので放射線治療で進行を抑えて現状維持する予定だった。

 呼吸器内科の検査で膵臓癌の疑いが指摘され、最新の技術を総動員する態勢で初期の膵臓癌が確認された。初期段階での手術が成功すれば根治も可能との医師団の判断を受け入れ、肺癌と年齢で躊躇する主治医を押し切って私は手術に踏み切った。入院日と手術予定日が決められて、家庭での用意も調えた。

 ところがである。病気は人間の都合などお構いなしなので、突然「気胸」で呼吸困難になった。救急車で搬送された入院予定の大学病院は、急遽予定を組み替えて膵臓癌担当の消化器外科から肺癌の呼吸器外科へ担当科と主治医が変更された。手術の順番が入れ替わって急遽肺癌手術を行わざるを得なくなったのである。

 救急搬送されたHCUの病室に消化器外科と呼吸器外科の医師が集まり、協議結果の最終判断が患者の私と家族とに伝えられた。緊急性が高い膵臓癌手術を後回しにするので、原則としてリスクが高い末期肺癌の全摘は見送り、癌細胞周辺の最小限度のみ切除するという難しい選択になった。主治医を信頼してその判断に委ねることを伝えて、緊急手術が行われた。

 可能な限り膵臓癌手術を急ぐ必要があり、肺癌手術で部分切除に成功したので術後からその準備が開始された。通常は最低でも1ヶ月以上間隔を開ける外科領域最大の手術膵臓癌手術は、肺癌手術の直後で肺機能の低下が著しいにも関わらず患者の私の希望で10日後に実施された。生きて再び自宅へ戻ることはないだろうと判断した私は、年末ギリギリに一旦退院して正月三が日を自宅で過ごして、年明け早々に病院へUターンした。

 正月を返上して万全の準備を整えてくれた主治医に胸が熱くなったが、麻酔科の教授が立ち合っての膵臓癌手術は当初の予定通り2時間で終了した。最も困難な手術と言われる膵臓癌は、通常8時間を要すると言われる中での快挙である。異例の高齢患者はこうして見事に生き延びたのである。数々のプラス要因が働いたことは否定しないが、信頼と気力の二文字が結果として奇跡を招いたと言えるだろう。

 単純に比較することは出来ないが、私の場合は数多くの善意や好意に恵まれた。一片の疑問も挟まず、患者本人の私と医師団の結束を信頼しきった家族の存在が大きかった。これらの事例は多分に特異の部類で、多くの癌患者の皆さんに共通するとは考え難い。事実を率直にお話しすればするほど、何かしら自慢話のように聞こえる気がするのである。それゆえに度重なる要望を受けながら、癌患者やその家族が語らう場へは出向いていない。

 一口に闘病と言っても内容は様々である。病気を抱えて否応なしに神経過敏になっている皆さんへ、話しかける勇気が私にはない。どこまでも明るく前向きであるがゆえに、現在を生きている姿を披露する程度のことしか出来ない。他人は「あなたがそうして元気溌剌と毎日を過ごしていることが最大の励ましになる」と言う。今週から髪を切って坊主頭になった老人でも、何か役に立つならと考え始めた。