獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

何気ない日の何気ない夕焼け

 取り分けの起伏もなく淡々と過ぎていく毎日の中で、ふと思いがけない出来事や現象に出くわすと何やらちょっぴり"得した気分"になり、少しだけ幸せを実感する。人間の幸せって何だろうと考えると、際限のない無限の荒野を彷徨うが如き心境になるが、難しく考えずに気軽に"幸せ感"を味わえる。

 我が家は高層住宅の8階に位置するがダイニングの大きなガラス戸が西向きなので、午後になると西日が遠慮なく入ってくる。遮光性のあるレースカーテンを引いて対処しているが、夕刻になると雨の日や分厚い雲に覆われた日を除いて西の空が「夕焼シンフォニー」を奏でる。目の前の小高い山の端に隠れていく太陽が、一日の終わりを惜しむかのように茜色に染まる。

 季節によって日没の刻限が変わるが、春から夏の終わり頃までは夕食の時間と重なるのでダイニングテーブルの座る位置を西向きに変えている。真っ正面に赤々とした夕陽が見えるので、暫し箸を持つ手を休めて見とれている。茜色の雲が前後左右に流れるので、目で追っている間に食事が冷めると老妻に叱られるが、この無料の贅沢を愉しまない手はない。

 時には夕映えで部屋の中も茜色に染まるが、そんな時は暗くなるまで照明を点けずに暫し自然の演出に酔い知れるのである。カネが万能の資本主義社会でも、カネで得られるものと得られないものがある。カネの力で猛威を振るった台風禍を止めることは出来ないし、空全体が茜色になる夕焼を生み出すことも出来ない。

 慢心して自分を嘆き、環境や時代を嘆いても、幸せは決して訪れない。何気なく過ぎていく何気ない毎日を、幸せと感じるかどうかで人生は大きく変わる。何気ない日々が幸せであるか否かは多分己次第だ。自身の感性を磨いてピカピカにして置こう。嘘や偽りで曇っている薄汚れた感性には、薄汚れた光景しか映らないだろう。

 久々に眼にした綺麗な夕焼に心が潤い、「去りゆく夏への挽歌」かも知れないと思った。

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