獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

何もしないという選択

 検査が続いて2日連続の大学病院通院になった。コロナ・ウイルスによる「外出自粛」で、街中も電車やバスも人影が少ない。そればかりかいつもは患者がごった返す大学病院外来も、勝手が違ったように比較的空いている。妙な伝染病が大流行すると、従来からある各種の疾病が恐れを成して"大人しく"なるらしい。

 そんな屁理屈が至極もっともに聞こえるほど、世の中が変になっている。どこへ行っても、どちらを見回しても、大人から子供まで眼に入るのは"マスク星人"ばかりである。密接などの「密」が禁じ手になった現在でも、マスク越しに見つめ合う若い男女はいるし、相変わらずノー天気な会話に夢中な爺さん・婆さん達もいる。

 これほど世の中が異常になると、"何もしない"という選択が最早許されない雰囲気が濃厚である。異常と正常は正反対なのに、どうやら"赤信号みんなで渡れば怖くない"との気配が支配的である。そんな世の中の現状に合わせた訳ではないと思うが、私の病状の診断も「敢えて何もせず様子を見よう」ということになった。

 肺癌と膵臓癌の手術は受けているが、3年を経過して肺癌が転移再発した。急激に体調が悪化したので多分そうであろうと予測はしていたが、自己流の診断が見事に的中していた。そこまではほぼ想定内なので驚きはないが、問題はその後である。80歳という年齢と極限まで落ち込んでいる体力を勘案すれば、選択肢は決して多くはないのである。

 全身麻酔に耐えられる体力はないので手術は100%無理で、放射線治療という術外の選択肢も知ってはいたが、外出が困難になる寝たきり状態にならない保証はない。動くと息切れする苦しさを緩和する酸素補給も、体がそれに慣れてしまうと中断できなくなる。何とか外出できている現状を維持することを最優先するために、「敢えて何もせず」との決断に到った。

 自己流の診断は毎度のことだが、大学病院を代表すると評判の名医を中心にした医師団の判断も、「苦渋の選択だがそれが現状では最もベストな選択かも知れない」となった。患者が提案して医師団が同意するといういつもの自己流がここでも再現されて、経過観察を続けながら流動的に判断するということで落ち着いた。

 重篤な肺癌患者を目の前にして、「何もしない」という選択は通常医師の側には許され難い選択である。敢えてそれを推して決断してくれた医師団に深甚な感謝の意を表したいと思う。人間が生きる権利、取り分け少しでも楽しく生きる権利は誰にでもある。言うのは易く、行うは難いことだが、最終的には人間の尊厳とは何かという段階まで行き着く重いテーマだ。

 これまでの長い闘病生活で再三このテーマについて医師団と議論してきた。医学や技術を超えるばかりでなく、宗教でさえ克服するのが困難な解答がない問題である。人間とは何かと逃げずに向き合わざるを得ないので、時には息苦しくなるほどに重いテーマだ。長い時間をかけても、答えが見つかるか否かはその時の決断次第である。

 私は単なる架空の議論ではなく、自分自身の病状との関連で現実問題としてこのテーマを捉えてきた。常に今日をどう生きるか、明日をどう生きるかという、切迫した時間の中で、先送りできない切実さの中で向き合ってきた。自分の命がそこにあって、その重さの中で選択を迫られ続けて来た。個々の医師達もそれを感じていたように思う。

 私の選択や提案が正しいのか間違っているのかは、多分医師達も判断に苦しむだろう。今日命を終えるか、明日命を終えるかのギリギリ状態に身を晒し続けてきたとも言えるだろう。例え他人の場合は違う結論に到っても、自分自身の責任と判断で今日まで命を長らえ得てきた。関わり合ってくれた多くの人々の善意にまず感謝せねばならないが、多分少なからぬ幸運もあったのだと自身納得している。

 「何もしない」選択はそれらの長い道のりの果ての、取り敢えずの結論である。すぐに変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。人間が生きるということはそけだけ不確実性に満ちている。それゆえにコロナ・ウイルスによる一連の騒動は、何もせぬ選択と対極を成す"出来ることは何でもやる"選択の代表格であろう。

 例え異様であろうと異常であろうと、議論の余地なく人間の生存権を奪うものは排除せねばならない。善し悪しはともかくとして、人間社会に人間が存在するという原則は絶対に曲げられない。今や世界を覆っている不気味なコロナ・ウイルスとの戦いは、人間の叡智が魔物に打ち勝つか否かの戦いでもある。"何もせず"傍観することは断じて許されない。

 世の中や時代が正常であるのはハッピーであるが、ノンハッピーもまた人間社会である。私自身の命がいつまで続くのかその保証は一切ないが、それでも本人は落ち込むどころかなお一層意気軒昂である。"マスク星人"になって、人影が少なくなった街を通院している。