獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

介護保険の認定

 世に介護保険制度が導入されて久しいが、幸か不幸か80歳目前まで利用したことがなかった。制度そのものは知っていたし、乏しい年金から高額の介護保険料が差し引かれているのも知っていた。それでも馴染みがないまま日を重ねて今日に到った。自認か他認かは別にして、元気で健康に恵まれている高齢者にはなお縁遠いだろう。

 今般の容態悪化を受けて介護保険の認定が見直されることになった。現在の「要支援1」は最低限の軽度高齢者用で、息切れが酷くて外出できない肺癌再発患者には凡そ不釣り合いだ。付き添いが用意できない状態での単独通院は無理だと大学病院の主治医に告げられ、直ちに緊急入院が可能な訪問診療科がある病院への転院交渉が開始された。

 幸い同一市内に該当する病院があり、急ぎ受け入れが決まって「訪問診療」が始まる仕儀と相成った。介護保険の認定変更を待たずに病院ベット同様の介護ベットが自宅へ搬入され、併せて酸素吸入装置一式が設置された。嫌が応にも重症癌患者相応の趣が整った。やっとの思いでタクシー通院していた大学病院への通院がなくなり、以後は医師と看護師が自宅へ来て診療される態勢になった。

 保険制度の専門知識が豊富とは言いかねるが、今般の酸素吸入や介護ベット導入は介護保険現行の「要支援1」では受けられないのだそうだ。更に重症であると介護保険で認定されなければ使用が認められないらしい。ありきたりの常識的判断を超える「特異患者」に適用されるようには、どうやら出来ていないらしいのだ。

 理屈が先行する制度が大切なのか、実際に生きている人間の有り様を優先するのかの岐路であり、分岐点である。鶏が先か卵が先かという議論があるが、それどころではない必要かつ重要な問題である。自分がその当事者になってみればよく分かるが、燃え盛る火災を目の前にしてどのホースを使うか議論しているようなものである。

 病気の種類にもよるが患者の容態や症状は必ずしも教科書通りの一様ではない。医療やそれに関わる人間全てに共通する永遠のテーマだが、それが末端の制度運用現場で雲行きが怪しい。本来入院加療を必要とすると医師の誰もが認める重症癌患者が、本人の強い希望で自宅療養している。その基本認識が欠けたまま介護保険調査票の項目のみで認定される介護保険が、正当な制度と誰が認めるだろうか。

 「木を見て森を見ない」の例え通りその逆説も成り立つと思うが、現実に介護保険制度を逸脱した医療介護が行われようとしている。書類の差し戻しは簡単にできるが、進行する人間の病気は差し戻せない。それとも該当患者の死後に再検討するとでも言うのか。人間の命とその人生は○×数個以下であるとでも言いたいのか。

 いかに死期が近い重症癌患者といえども軽視黙認すべきことと、そうではないものの区別くらいは明瞭に出来る。誰が何と言おうが断固として可笑しいものは可笑しいのである。例え一命を投げ打ってでも、オメオメ引き下がるつもりは毛頭ない。高齢者の皆さんは程度の差があっても、多分明日は我が身になる問題である。