獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

人影が消えた街で

 連休明けの7日(木)に2ヶ月ぶりに地元市立病院へ通院した。世の中は変われば変わるもので、コロナ・ウイルスによる非常事態宣言が発せられて以来様変わりしていた。不要不急の外出は控えるようにとの自粛要請は再三目や耳にしていたが、久しぶりに自宅を出て見て改めて驚いた。

 自宅周辺の団地内は毎年恒例のUR関連会社による草刈り作業中で、草刈り機の音が響いて数人の作業員が忙しく動き回っていたが、それ以外の人影が見られない。街中から少し離れている丘陵地にある団地とは言え、最寄り駅までは頑張れば徒歩圏内である。坂道ばかりなので普段は近くの帝京大学へ頻繁に出ているバスを利用している。

 自宅を出て徒歩2分程度の身近なバス停を利用しているが、バスの到着予定時刻が表示される屋根つきの電光掲示板の下は、いつもなら昼間の時間帯は中高年者が長蛇の列を成すのだがそれがない。団地の中央部に位置するバス停に人影がない。目の前のショッピングセンターにあるスーパーで買物する高齢の女性客以外の人が居ないのである。

 程なく到着した最寄り駅までのバスを見てまた驚いた。いつもだと帝京大学の学生でほぼ満員状態なのだが学生達の姿が見られずガラガラ状態で、乗車したのは私の後ろに続いた高齢乗客が二人だけである。あまりの様変わりに何やら腰が落ち着かないが、悠々と着座して駅までの10分足らずの時間を過ごした。

 駅近くになるとさすがに人影が増えたが、それでも見慣れた普段の景色とは大分違っていた。走っている車の数はそれほど減っていないが、歩く人の姿がやはり少ない。昼の時間帯とはいえターミナル駅は淡々と静かな時間が流れていた。バスを乗り継いで通院するいつもの習慣なのだが、見慣れている風景の色合いが変わったように感じた。

 市立病院へ到着して又々驚きだが、いつもは病院の構内へ入って玄関前のバス停で降りるのだが、病院構内へは入らず近くの大通りバス停で降ろされた。事前にコロナ対策との説明が車内であったが、政府や東京都が言う非常事態の意味を痛感させられた。病院の正面玄関は大勢の病院職員が待機していて、通院者一人一人の検温が行われていた。

 検温ばかりでなく様子を見て異常がないかどうかを確認する念の入れようだった。いつもと様子が違うのはそればかりでなく、5連休明けの混雑を予想していた身には意外な光景がそこにあった。圧倒的に人が少ないのである。臨時休診かと見間違うほどに行き交う人が少ないのだ。各診療科の外来待合は数人程度で、私が受診した耳鼻科が3人で、皮膚科は待っている患者が居なかった。

 透明のビニールシートに覆われた外来受付は難聴の高齢者には高いハードルで、直接の会話にも苦労する私はメモをやりとりする筆談になった。現段階はまだ何とか片目が見えているが、眼の「加齢黄斑変性」が進行して両眼がグニャグニャ視力になったらと思うと、筆談すら容易でなくなる。

 普通に生きて普通に暮らすこと、それを当たり前だと思える人は幸せである。特別の努力をすることなく当たり前に生きていられることがどれほど大切なことかは、それが出来なくなって始めて気づき分かるのである。コロナ・ウイルスの感染が他人事と思える人は、その意味で言えば幸せな人なのかも知れないとふと思った。

 人が人として生きているのと同様に、人としてやらねばならない懸案事項も数多くある。自らの命が終局を迎えるまでは、手抜きせずやれる努力をせねばならない。当たり前に生きているのと同じく、それらの努力もまた当たり前の責務だ。コロナ・ウイルスが世界に拡散して、改めて私たちは自らを確認する必要に迫られている。

 普通だからとか当たり前だとか思ってきたことが、必ずしもそうではないことに気づかされた。当たり前に開いて賑わっていた飲食店から人影が消えた。煩わしいと思えるほど混雑していた街から人が消えた。何かが変わり、何かが変わらねばならない時代を迎えている。さて私たちは一体どう変わり、変われるのだろうか。