獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

長生きの年貢

 人間業も最終局面の第4コーナー辺りに差し掛かってくると色々面倒なことが持ち上がる。他人事ならいざ知らず自分のことゆえ尚更厄介だ。況してや重病を抱えていれば、知らぬ顔の半兵衛を決め込むわけにはいかない。否応なしに対応せざるを得なくなる。人間とは誠に身勝手な生き物で、他人事ならよく見えるのにいざ自分のこととなると途端に眼が曇るものらしい。

 肺癌の転移再発で呼吸困難が続いているのに片意地を張って入院を拒否し続けてきたが、そろそろ限界が見えてきた。毎日の暮らしで何度か急に息苦しくなってゼイゼイする。意識が朦朧としかけてフラフラになる。このまま倒れて頭を打ったら多分この世とお別れになるのだろうと薄ぼんやり思いながら日々を過ごしている。

 こうして呑気にブログなど書いている場合でないのは十分承知している。それでも尚も現在の暮らしに拘り続けるのには理由がある。医師や病院の勧める通りに温和しく入院してベット上の生活に入れば体が楽になるのも承知の上で、それでも我が儘を押し通しているのは自分の行く末が見えているからである。

 齢80歳間際に肺癌と膵臓癌の連続手術を受けた。よもや生きて今日を迎えられるとは努々考えていなかったので、現在こうして身勝手を言いながら生き長らえているのは言うなれば"奇跡"である。関係した医師達が口を揃えて言うように、「奇跡的生還」で得た命だ。粗雑にしようなどとは到底考えないが、自分の人生が長らえたのも紛れのない事実として私の眼の前にある。

 肺が病んで呼吸不全状態になったのは最近のことではない。30年以上前に「肺嚢胞」の診断を受けて以来現在に続いている。毎日の暮らしに酸素補給が欠かせないと宣告されて、当時は未だ元気で体力があったので医師の診断に背いた。無謀だとの制止を振り切ってマウンテンバイクに挑戦した。それも平坦路ではない山岳コースを敢えて選んで走破した。

 途中で何度も何度も「死ぬかも知れない」と実感しながら、真冬の寒中でも汗まみれになってペダルを踏み続けた。途中で投げ出せないようにと思って、アメリカ製のレース仕様の本格的機種を購入したので50万円以上の出費になった。そこまで無謀な投資をしたので中断できなくなって、自分に対する意地で5年続けた。

 毎度同じコースを走るのでは飽きるので、アメリカ製のグラスファイバー車体の派手なマウンテンバイクを分解せずに車内に収容できるスエーデン製ボルボを購入した。最大機種のステーション・ワゴン特別仕様車だったので700万円の投資になった。半ば呆れている家族をよそ目に、雨の日も風の日も週3日ペースで黙々と続けて東京周辺と関東のコースは殆ど走破した。

 不治の病で死期を待つよりは、自分の意思で挑戦する道を敢えて選んだのである。最初の奇跡を実感したのはその後である。予想もしなかった事態が現実になって、各種の検査結果が信じ難いデータとなって現れた。人工的酸素補給を必要とする心肺が健常とまでは言えないながら、ほぼ正常値近くに回復したのである。

 一旦は医師の指示通りに酸素ボンベを用意して酸素吸入装置を導入したが、1,2回使用したのみでその後は用済みで不要になった。2本の酸素ボンベは既に処分して残っていない。その無謀な挑戦の恩恵で、本来なら入院して酸素補給を受けるべき重症患者がこうして普通の生活が出来ている。年季が入った無謀な挑戦もそろそろ期限切れのようだ。

 いつ何が起きても不思議ではないと医師が指摘する容態に合わせて、緊急時の往診や入院が可能な病院へ転出が検討されている。常に病室が満杯で順番待ちの大学病院では対応が難しいと判断されている。年齢的、体力的に再度の肺癌手術が無理なので、その他の対症療法で死期を待つことになる。それが我が人生の終末だ。

 良くも悪くも事実は事実として客観的に受け止めねばならない。精一杯努力して得た「奇跡の顛末」に泥を塗ることがないよう、自分なりの"落とし前"はつけねばなるまいと思っている。何人もこの世に生を受けて生きれば"年貢"が必要になる。悪足掻きせずその"年貢"を納めるのが、自分に対する精々の義務であるように思っている。