獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

千登世橋から

 いきなり千登世橋と言われても大方の人はピンと来ないだろう。橋と命名されているが実際に川が流れているわけではない。東京都豊島区内を通る幹線道路「目白通り」と、「明治通り」が交差する陸橋名である。上を「目白通り」が通り、その下を渋谷と新宿を経て池袋を結ぶ「明治通り」が走っている。現在は更にその路面下を、首都高速と地下鉄「副都心線」が走っている。

 取り立てて目立つ場所ではなく、観光名所などでは毛頭ない。にも関わらず新旧幾多の小説や戯曲に登場する。すぐ近くに学習院大学と川村女子大学、目白通りを進めば日本女子大学がある。日本女子大の正門前を斜めに急坂を下りると早稲田大学のキャンパスへ出る。千登世橋を渡るとすぐに日本女子大に沿って目白通りはY字路になり、右側は有名な椿山荘やカトリックの東京カテドラルなどを経て江戸川橋に到る方と、左に進めば真言宗大本山護国寺日大豊山高校などを経て上野公園に到る「不忍通り」になる。

 千登世橋を有名にしたもう一つの理由は、「明治通り」に沿って早稲田から延びる「都営荒川線」のチンチン電車が下を通ることである。目白通りの歩道から下を走るチンチン電車と、明治通りを流れるように通り過ぎる車の列が眺められ、賑やかにおしゃべりしながらゆっくり歩く女子大生との対比が面白い。山手線の目白駅までは学習院のキャンパスに沿って長い銀杏並木が続く。

 私はかつて日本女子大前の急坂途中にある小さなマンションの住人だった。坂を上れば日本女子大、坂を下りると早稲田大という、豊島区と新宿区、文京区三区の区界に住んでいた。街並みは目白通りに沿った"山の手風"と、早稲田界隈の雑然とした"下町風"とが対照的で、これもまた面白かった。当時は決して豊かとは言えない70年代初頭で、私の部屋には様々な職種の人達や各大学の学生達が出入りしていた。

 目白駅に到る途中の千登世橋を朝な夕なに通ったが、何故か不思議に下を川が流れているような錯覚を屡々覚えた。何やら"人の世の無常"みたいなことがしきりに頭をかすめたのを今も憶えている。昔この橋から飛び降りて、下の明治通りを走る車に轢かれて死んだ若い女性が居たと聞いたのは随分前で、当時は多分ガス灯であったろうなどと勝手に想像して通った。文字通りの閑静な住宅地には凡そ不似合いな風説に思えていた。

 若い男女が多い街には数々の悲恋や悲劇が付き纏うが、千登世橋の明るい何気ない風情からは凡そ縁遠く思えた。少し先にある「雑司が谷鬼子母神」の社や境内からも、それらの風情を見つけ出すのは困難で、誰かが創作した物語の世界だと思い込んでいた。実際に住んでいた当時は何気なく通っていた道も、その場所を離れて長い年月が過ぎると想いが変わることに気づいた。

 数十年ぶりに訪れた千登世橋は、学習院や目白警察署を除いて景観が変わっていた。目白通りから明治通りへ下る曲線道路が拡幅されて、往時の激しい渋滞は解消されたように見えた。明治通り沿いの都営荒川線も往時の古いチンチン電車ではなく、スマートな新型車両に変わっていた。何も可も夢であったような淡い感傷が、しきりと胸を去来した。往時住んでいた小さなマンションは最早なく、再開発されて大きな豪華マンションに変わっていた。

 街も人も変わったが古ぼけた千登世橋だけはそのままだった。自分自身も大きく変わったのに甦る想いは往時の儘で、夢と現実が激しく交錯する不思議な気分だった。紛れもなくここで生きた年月が有り、思い悩んだ日々があったのに、目の前にあるのはそれらと無縁の小綺麗な街並みだった。都心には珍しく静かな環境があり、住む人々もそれなりのセンスと風格を有していた。田中角栄元総理が憧れ、こよなく愛した「目白」である。

 安倍球場も早稲田実業高も消えた早稲田界隈は、大隈講堂の背後に高層の外資系ホテルが建って景色が一変していた。かぐや姫の名曲「神田川」に歌われた世界は夢のまた夢と化し、周辺は豪壮な学生マンションが街を見下ろすように林立していた。何やらまるで童話の世界から抜け出たような、現実感のない街並みが拡がっていた。大隈公が思い描いた「都の西北」は遙か彼方になった。往時に幼かった息子を連れてよく通ったラーメン屋も、跡形もなく消えていた。

 千登世橋は私の記憶の奥で、或いは当時住んでいた人々の記憶の中に残るものとなった。
目白通り」も「明治通り」も変わらずあるが、千登世橋そのものは変わらずあっても、そこを吹いていた風はもうない。目白駅の上に沈んだ赤く大きな夕陽ももう見られない。初冬の寒風に舞っていた銀杏の落ち葉もない。通り過ぎた女子大生達は今どんな暮らしをしているだろうか。何も可も色や音が消えて、臭いが消えて、確かめる術はない。

 朝が来て、真昼の静けさがあって、暮れていく夜に包まれる千登世橋。人が生きて、人が悩んで、やがて人は去って行く。訪れる人もまた居て、街は鼓動を止めることがない。流れゆくままに、滅び行くままに、千登世橋はそこに有り続ける。水を湛えずとも流れが絶えることは多分ないだろう。そう思いながら夕闇迫る千登世橋を後にした。