獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

川の流れに

 音もなく流れ去る川は何故か人の郷愁を誘う。川と言っても関東の利根川や、四国の吉野川、九州の筑紫川などのような大河から、凡そ川というイメージから縁遠い小さな河川まである。何故か不思議に人は水辺を求めて集まり、そこに暮らす。同じ水辺であっても海とは大きく趣が異なり、流れ去る光景が人の目に残るのである。

 日本人は古来の農耕民族で、敗戦後の荒廃した国土にも広大な田畑が残った。乏しい食糧を確保するため、戦地から生きて還った人達は取るものも取りあえず野良に出た。貧しい身なりで、兵隊服のまま田畑で汗を流す人々もいた。そんな貧しく悲惨だった時代も、田んぼの脇を細い用水が流れていた。

 労働基準法がなく、農耕作業での"しきたり"も未曾有の敗戦で消え去った時代である。ゴム長靴が配給制で手に入れるのが困難であった時代でも、農作業で疲れた腰を伸ばすと見上げる青空の澄んだ青さと、裸足の足に伝わる水の冷たさがあった。流れる汗を拭いながら手を洗った小川には、"ミズスマシ"が水面を走り回っていた。

 細く小さな川にも水草が茂り、カエルがいて鮒やドジョウが素早く泳いでいた。吹き渡る風が心地良く感じられる季節になると、小川の水量も増えて数多くの生き物たちがその命を輝かせていた。高価な化成肥料や農薬を買える農家は限られて、大半の農家は自作の有機肥料で少ない収穫に甘んじていた。

 雨が少ない年は近隣の農家が集まり、どうすれば効率よく水を分け合えるか話し合った。皆が自分たちのことは自分たちで決めて、力を合わせてそれを守り抜く良識が息づいていた。豊かにはなったが、己の利益のためには他人を顧みない現代社会とは大きく異なっていた。そんな貧しい人々の脇を、可細い小川は静かに流れていた。

 流れる水は元へ還らない。運命の儘に流れ去るに任せている。どこへ流れて行き着くのかは水も判らない。人智を超える自然の猛威で時に脅威となるが、水は本来静かである。私たちの身近を流れる大小の川は、普段は何気なく流れていて取り立てて川の存在に気づく人は少ない。あるがままにあるが儘の自然なのである。

 それでも人は水に様々な思いを抱く。生きてこの世にあることの喜怒哀楽を水に託す。名曲「川の流れのように」は、秋元康の詩を美空ひばりが歌い上げて人生を印象的にした。今も数多くの歌い手によって歌い継がれている。人は誰でも、それぞれにそれぞれの思い出の川を持とう。心の中を静かに流れる川は、紛れもなくその人の人生と想いを浮かべて流れている。

 流れ去る水の色は人それぞれの人生と想いに彩られて、すぐに人それぞれの前から消えて行く。幼い日には大きく感じた川も、成長して大人になれば違って見える。人間性とその想いは変わっても、人間としての基軸はぶれずに今日に到っているか。水の流れは何も語らないが、じっと水面を見つめていると、ふとそう問いかけられているように感じることがある。