獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

年の瀬

 高齢者には凡そ実感が乏しいが何やら"年の瀬"になった。新型コロナウイルスの猛威に振り回されての情けない"年の瀬"である。世界は未だその新型コロナウイルスから抜け出せないが、感染拡大の第3波に突入しても我が国は依然として「非常事態」ではないらしい。誰もが他人事のように認識して行動する「平常」のようだ。

 一部に様変わり現象は見られるものの、年の瀬の街には人が溢れいつもの年末光景と違いを見つけるのが難しい。口には出さずとも国民の多くは新型コロナウイルスの猛威が「明日は我が身」と思っては居ない。何やら"場当たり的"政府の発言や対応を見ても、言葉とは裏腹な「呑気な他人事」との認識が見え見えだ。

 殆ど外出しないと言うか、外出できない病人には「外出自粛」と関わりないが、それでも暮れになって老妻殿にコロナの疑いが持ち上がった。PCR検査の結果「陰性」が確認されて一件落着となったが、その影響で容態急変で入院させられた私の退院が延期された。若しコロナに感染したら「万事休す」事態になるのが確実な肺癌再発患者なので、是非を抜きに納得せざるを得なかった。

 浮き世の現実から距離を置いて暮らしているつもりの高齢者世帯にも、人並みに年の瀬は訪れ正月が来る。特にどうという変化はないのだが、何となく世間の風が吹き込んでいつの間にか巻き込まれて"慌ただしくなったり"、"目出度い気分"になったりするから不思議である。ご馳走にありつける嬉しさも人並みにあり、「喰うことが最大の生き甲斐」と自認する病人高齢者には楽しい"年の瀬"である。

 人生とは善くしたもので、喰うことを生き甲斐とする亭主には何故か料理自慢の女房が連れ添っている。その女房殿も齢80となってさすがに往年の元気は衰えたが、それでも連日コロナ騒動渦の街へいそいそと買い物に出掛ける。大量に持ち帰るスタミナはないので全部"配達依頼"だが、届く度にその量の多さに驚かされる。老々夫婦世帯には不似合いな銀色の大型冷蔵庫は常に満杯だ。

 今度の正月はいつも来る息子夫婦の年賀挨拶がコロナ渦で"自粛"になった。久々に老夫婦だけの"水入らず"正月になる。他人の来訪はすべて辞退しているので来客はなく、晴れたり曇ったりする天候に静かな正月気分を味わうのが恒例だ。明日の我が身が判らない重病人だが、それでも奇跡と思える4度目の正月を間もなく迎える。人間の幸せとは、人生の慶びとは、そんな「何気なさ」であるように思う年の瀬である。