獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

黄葉前線と「新型コロナウイルス」

 我が家の目の前の天然雑木林全体が黄色くなった。早々に葉を落として裸の枝を晒している木々もあるが、執念深く緑を残している木々もあり、隙間がない密林状態の森は様々な色が混じり合う多色模様の絨毯のようだ。風が吹く度にチラチラと枯葉が舞い、その中を鳥さんたちが気忙しく飛び交っている。遠景となる隣県神奈川の丹沢山系が薄青いシルエットになって鎮座し、晴れた日の空に雲は見当たらない。

 この景色だけ見ていると例年と変わりないが、地上で展開されている人間生活は今年大きく様変わりした。「新型コロナウイルス」という微細な細菌が急速に猛威を振るって、驕り高ぶる人間社会を根底から揺さぶっている。「万能」という言葉を盲信して、自らを省みることを忘れた人間社会は、自らの能力が決して「万能」ではないことを改めて痛感させられている。

 本来は醜い側面を数多く有する人間の欲望は、一旦目覚めると際限なく拡大し増殖する。果てしがない「満足」を得るために、更に別の欲望を呼び込んで縦横無尽に拡散する。人間生活の規範や倫理観を押しのけて、醜悪な牙を剥き出しにする。可細い人間の理性は至る場面で立ち往生し、暴走する欲望を留められない。それはそのまま、現在私たちが否応なく接している「新型コロナウイルス」に酷似して居ないだろうか。

 私たちは現在肉眼で確認することが出来ない極小の細菌に脅かされている。素人には手に負えないので、専門家と呼ばれる研究者の懸命の努力を待つしか手段がない。けれども殆どの人は目の前の現実に目を奪われていて気づかないと思うが、若しかしたらこの「新型コロナウイルス」は、私たち誰もが持つ「欲望」そのものではないかという気がする。気づかないままに現実の生活で生み出し続けた「副産物」なのではと、疑わざるを得ない。

 自らが知らぬ間に生み出した猛威に立ちすくみざるを得なくなっている人間社会は、各自がそれぞれ自分の足元を見つめ直さねば退治するのが困難だろう。気がつかないうちに私たちは欲望の赴くまま、自分で自分の首を絞めては居ないか。小賢しい理窟を並べ立てて理論武装し、自ら手を汚すことなく思いのままに、自分の生活をコントロール出来たと勘違いしては居ないだろうか。

 揶揄は揶揄を呼び、いつしか仮定が現実に化けて巨大な姿を現す。計画性という名の「正義」が木っ端微塵に吹き飛ばされ、突然現れた「結果」が現実になる。人間は無力で為す術がなく、巨大化した現実の前にただ右往左往するだけだ。架空だと思っていた物語が架空でなく、紛れもない現実になって目の前にある。少し頭を冷やして考えれば、誰しもが気づくであろう単純明快なSFトリックである。

 黄色く色づいた目の前の森に目をやりながら、何とも哀れで滑稽な人間社会を思った。
自分もその一員であることの重さが身に堪えた。時折口にする「人間の尊厳」て何だろうと考えた。自らを過信して憚らない人間の存在そのものが、若しかしたら「新型コロナウイルス」の正体ではないかと頻りに思えた。午後の太陽が角度を増すに連れて、部屋の中へ差し込む陽射しが長くなった。ドボルザークの「チェロ・コンチェルト」が鳴り止んだ。