獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

祭りの後先

 日本人は古来お祭りを大切にしてきた。決して楽ではなかった日々の生活の中で、節目節目にやって来る祭りは重要な年中行事であった。民俗史を紐解くまでもなく、生活習慣から生まれた日本の祭りは本来生活の一部であった。盆正月と同様の欠かすことが出来ない行事だったのだ。

 明治の文明開化で西洋文明が入ってきた後も、日本人の心として親から子へと受け継がれて来た。戦後の高度経済成長を経て生活様式や家族主義が大きく変化しても、多くの祭りは変わらず現在に到っている。人口減少時代になって代表的な神社神輿の担ぎ手は地元の氏子ばかりではなくなった。専門に請け負うグループも出現し、商業化らしき現象も眼につくようになった。

 祭りに対する思いと感じ方は世代間でかなり大きく変わると思うが、現在高齢者になった旧世代には少なからぬ"ほろ苦い思い出"がある。私は戦後間もない時代に東北地方の農村部の小学校へ数年通学した。同級生たちを見ていて"ある事"に気づいた。生年月日に特徴があって、特定の月の特定の日前後に生まれた児童が多いのである。

 成長に合わせてその意味が次第に分かってきたが、その理由に祭りが大きく関係しているのである。娯楽が少なかった時代は祭りが若い男女の出会いの場だったので、出会って間もない若い男女が闇に紛れて神社の裏や物陰に隠れて結ばれたらしい。同じ時期に若い女性達が次々出産したので、結果として似通った生年月日の子供が多くなったようだ。

 神輿の由来や歴史などは知らなくても、大勢で担げばテンションが上がる。理由もなく興奮状態になった男たちを見て、若い女性達も影響されて昂奮した。熱狂が熱狂を生んで、その捌け口は"行き着く先の女性達へなだれ込んだようだ。祭りの喧噪の後にはおびただしい"男女の交歓"が発生して、似通った生年月日のベビー誕生になった。

 祭りの喧噪は今も昔も大きくは変わらない。意味などはなくても良いのである。大勢で皆が騒げば取り敢えず盛り上がるのである。その祭りが民族文化に根ざした日本古来のものであろうとなかろうと、とにかく「騒げれば」良いのである。間もなくやって来る恒例になった「渋谷のハロウィン騒動」が、その代表例だ。異教徒の祭りであろうと関係ないのである。

 仮面で仮装しているから手軽に"非日常空間"に浸れる。"非日常空間"だから普段の自分と違う自分になれる。普段の自分と違う大胆な行為が許されるし出来る。その場の雰囲気で見知らぬ同士が結ばれる。スマホSNSは実態がない出会いや会話だが、「渋谷のハロウィン」へ行けば直接肉体での接触を確かめられる。

 「意味のない喧噪」が減った現代は、単純なことですぐに肉親や他人を殺傷する。祭りに参加できる層が限られて、形だけの「地域の祭り」が増えた。それぞれの祭りが持つ「意味のない喧噪」の巨大なエネルギーが迷走している。その喧噪から弾き出された大多数の人たちは、発散する場と捌け口を失って性犯罪や刑事事件を引き起こしている。

 祭りとは何かなどと小難しい理屈をこね回してもここでは無意味だ。祭りに理屈は似合わないので、とにかく参加できることが最優先されねばならない。男と男が、男と女が、それぞれに理屈を超えてぶつかり合う場が祭りだ。後先のことはその時に考えれば良い。祭りの後は特有の寂寥感が残る。男も女もそれぞれに肉体を燃やして結び合えば、祭りをより実感できる。

 巨大化する喧噪は社会に数々の迷惑と影響をもたらす。例えどんなに迷惑が拡大しても、「意味のない喧噪」である祭りを止めることは不可能だろう。若し止めたならば、その害毒は更に広範囲に社会へ拡散して収拾できなくなるだろう。何故ならば、祭りは人間の本能そのものだからである。