獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

NHK土曜ドラマ「サギデカ」

 先週土曜日でNHKドラマ「サギデカ」が終了した。近年話題の「振り込め詐欺」を題材にした、最近のNHKには珍しいシリアスな力作だった。こういうドラマも作れる余力がNHKにあったのかと驚かされた、"超珍しいドラマ"であった。

 最近の公共放送NHKは、何故か理解に苦しむお笑い芸人の起用ばかりが眼について、番組のタイトルが表示されると同時に他チャンネルに切り替えていた。一言で言えば「見るに値する番組がない公共放送NHK」である。これで視聴料を強制徴収する放送法のデタラメさが一層際立った観があった。

 長い期間を経ても一向に減る気配がない「振り込め詐欺」については、終始一貫して腰を上げようとしない安倍政権の思惑を受けた社会現象ではないかと疑ってきた。永遠に経済成長が続くとする「新自由主義」が手詰まりになって、低迷を脱する方法・手段の一環としての「荒療治」だろうぐらいに認識していた。

 弱者である高齢者の善意につけ入り、近親者の息子やその友達になりすまして騙す手口は、卑劣という常識的な言葉では捉えきれない巧妙さだ。絶妙の手口とそのタイミングには、むしろ「見事」という賞賛の言葉が相応しいほどだ。社会的防止手段が数々あるにも関わらず、政府機関は警察任せで動こうとしない。

 このNHK土曜ドラマ「サギデカ」がそうした社会的背景に踏み込めているか否かは別として、常識的に考え得る限りの深層に切り込んだ意欲は評価に値する。主人公の女性刑事と犯罪者役の男優が、可愛すぎたりイケメン過ぎる点でシリアス感を欠いたが、重い題材を重いままに描いた点では成功だった。

 「振り込め詐欺」は単なる"思いつき犯"の犯行ではない。他の犯罪と異なる点は背景が幾重にも折り重なっていると思われるからだ。豊かさの中の貧困である「格差社会」と「教育格差の連鎖」がある。その重い扉をこじ開けずして「振り込め詐欺」の深層は覗けないだろう。誰もが当事者で、誰もが当事者でないような、家族という妙な連帯感の中でこの事件は続発している。

 これまでの犯罪には概ねいくつかの定型パターンと思われる形があった。善悪が明瞭で犯罪者にはそれなりの理由や動機があって、それが発端になって多くの犯罪は引き起こされてきた。しかし「振り込め詐欺」にはそれらの過去の類型と異なる、知能犯の計算されたビジネスモデルの臭いが濃厚だ。他人を騙して利益を得る商法は数多あるが、合法であるか否かの違いだけで犯罪性が分かれる。

 複雑かつ巧妙に入り組ませるほど社会性が強化されるので、犯罪であるか否かが見え難くなる。政治犯などに見られる特有のパターンだが、「振り込め詐欺」も資金力で一定のパワーを持てば政治力で"半合法化"が可能になる。そうなれば現在の司法は手出しが出来なくなる。その日が現実にならない保証はどこにもない。そんな"空恐ろしい時代"に生きている実感が私たちにどれほどあろうか。

 この時代は誰もが「よそ者」である。当事者意識でその痛みや悲しみを実感しようとしない。対岸の火事を眺める感覚で、"関わりのない眼"で見て感じている。政府もマスコミも私たちも、等しく"冷めた眼"で遠巻きにして眺めている。誰も自分の問題だとは考えず、「お人好しの馬鹿なお年寄りが…」と嘲笑気味に見ているだけだ。

 NHK土曜ドラマ「サギデカ」が示した結論は組織暴力団というお決まりのオチであったが、「振り込め詐欺」の実態はそんな"ありきたり"ではないだろう。このドラマが設定した如く一部の"超エリート"が仕組んだゲームが発端で、それを色々なカラーに染め上げて現在に到っているのかも知れない。難しく考えれば難しくなるが、根は案外単純明快であるのかも知れない。

 このNHK土曜ドラマ「サギデカ」は、二つの点で私の期待を裏切った。一つは前述した公共放送NHKの意外な力量である。もう一点は未だ解決の糸口が見つからない難題に、敢えて切り込んだ勇気である。月並みにお茶を濁して良しとする最近のNHKには珍しい現象として、記憶して次に期待しようと思った次第である。