獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

サンマ好きの嘆き

 例年秋の風物詩であるサンマが不漁だという。店頭に並ぶサンマ君は数が少なく、値段が異常に高い。"大衆魚"と呼ばれていたのが、遙かに昔のことであるかのような錯覚さえ覚える昨今である。近隣の集合住宅から、サンマを焼く煙とその臭いが立ち消えになった。些細なことではあるが"異変"と呼ばざるを得ない。

 先般北海道で漁船の沈没事故があった。いつもだと近海で獲れていたサンマが今年は全くの不漁で、やむなく遠くの公海上まで出漁して悲劇に出遭ったらしい。サンマとて生物だから移動する自由はあるだろう。広い海でのことだから、大漁の年があれば不漁の年があっても別に不思議ではない。

 恒例の東京「目黒のサンマ」も、今年は三陸で冷凍保存された昨年物で間に合わせたとニュースになった。大の"サンマ好き"には何とも寂しく悲しい思いのシーズンになった。自然界の天然現象だというのなら納得できるが、近年は隣国の中国や朝鮮半島の漁船団が大量に不法出漁して、日本列島へ南下する直前のサンマの群れを獲り尽くしていると聞く。

 公海上のルールとマナーを守るのは無論必要だが、それはスポーツ競技同様にお互い遵奉精神があってこそで、公明・公平が中国や朝鮮半島の漁船団に通じないことは自明の理である。我が国の取り締まり当局の巡視艇が、目の前で行われている外国船団の違法操業に手出しが出来ないというのは「不条理」そのものだ。

 実例は言うまでもなく「北朝鮮による日本人拉致事件」である。歴代の我が国政権は「国民の生命と財産を守る」と公言しながら、不法に拉致された自国民を未だ取り返せない。長い年月を経ても尚も犯罪者である相手国の意のままである。法制度などの理屈は理屈として理解しても、これほど純然たる「国際犯罪」はないのに未だ指を咥えて模様眺めしている。

 例として適切であるかどうかは別にして、昔の子供の喧嘩は強者と弱者であっても筋を通す意地があった。強い相手にボコボコにされながらも、尚も歯を食いしばって相手に立ち向かう勇気が賞賛された。それが現代では不法国や不法者の「やり得」が、大手を振ってまかり通っている。昔なら「腰抜け」と罵倒された事柄が、不思議に「社会正義」に化けている。

 人口が1億少々の我が国の隣には13億人がひしめく中国がある。世界最強の軍事力を誇示して海洋進出を憚らない「唯我独尊国家」である。社会体制が違うのだから、我が国の民主主義が通用しない。遠くない近未来にアジアは無論のこと西洋諸国の食料を食い尽くすだろう。世界は中国とインドに加えて、爆発的な人口を抱えるアフリカ諸国とで、地球上の食料は盗り尽くされるであろう。

 未曾有のサンマ不漁は、そんな不吉な予感さえ感じさせる。目の前の不法出漁を安穏と見過ごしていれば、海洋資源に恵まれた我が国が危地に立たされるのは眼に見えている。現政権が真に「国民の生命と財産を守る」のであれば、例え他国の非難を受けようとも、不法出漁と違法操業は許さないという決然とした態度を示さねばならない。

 海上保安庁のみならず必要に応じて海上自衛隊を出動させ、発砲も辞さないという強い意志を表明しなければ自国の利益は確保出来ないのである。混沌とした世界情勢の中にあって、何もせずに傍観するのみは目の前の殺人に手を貸す行為であるのを認識せねばならない。単に理屈を弄んでいる間に現実の海洋資源が失われ続けているのだ。

 日を追う毎に"サンマの季節"は遠のく。店頭に並ぶサンマを横目に見て、今年は高いからと断念せざるを得ないのは、年金暮らしの高齢者だけであろうか。それに連れてもこの国の「正義や勇気」は、一体どこへ消え失せたのであろうか。