獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ススキの季節

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 今年の天候は夏と秋の境目がない。本来なら徐々に寒さが加わって秋らしくなるのだが、今年は夏の翌日に突然秋になった。街を行き交う人々も様々で、半袖の人が居る一方で長袖で秋らしい風情の人も居る。何やら混沌とした服装は、時代と世相を反映しているようで面白い。

 急に寒くなった天候の精かどうかは分からないが、郊外の野山で見かけるススキが季節感を強調している。東京近郊では箱根の仙石原高原が有名だが、今年の秋は先の台風19号の大雨で地元の交通網が被害を受けて、気儘に出かけるわけにゆかないらしい。無理に足を延ばさなくても、近くの低い山でも群生しているのを随所で見られる。

 大小の河川でも土手や河原に群生している光景は眼にするが、今年は台風禍で氾濫が相次ぎ様相が変わった。至るところが泥まみれで、岸辺や河原の光景が様変わりしている。自然の猛威は驚嘆する以外にないが、何気なくそこにあった光景と季節の風物詩が失われたのはやはり寂しい。

 取り立てて目立つ草花ではないが、青空や色づき始めた野山を背景にして、風に揺れる銀色のススキは秋の風情だ。近年は「芒」と漢字で表示したり書くことが減って、少し寂しく感じるのは寄る年波の精かもしれないが、心象風景の中で揺れるススキも悪くない。秋は爽やかな晴天をイメージしがちだが、実際には意外に雨の日が多い。

 春雨と違って秋の雨は冷たいが、蛇の目傘を持つ若い女性の手の白さが目立つ季節でもある。昨今蛇の目傘を見かけることはついぞないが、油紙越しに耳に届く雨の音も秋ならではあった。豊かで便利な時代はスマホに視点が集中しがちだが、季節の風情や暮らしの情緒が失われたのはやはり寂しい。

 秋の夜長は物寂しいが、物寂しい故に読書に親しみ思索を深めた思い出がある。瞑想の中で思い浮かぶ秋の野山には必ずススキがある。決して主役になることはないが、それでもひっそりとそこにあって存在感を主張している。赤や黄色に彩られた楓や銀杏のように派手ではなく、白く見えても純白ではない穂先が銀色に光って風に揺れる。

 丘の上の我が家の下は、切り立った斜面に一面短いススキがいつの間にか芽吹いて穂を出している。吹き渡る風を受けて揺れているが、歩を止めて見入る人は居ない。皆が足早に通り過ぎるばかりだ。この時代は四六時中スマホ画面にしがみついて、周りの景色も人も見えないのが普通のようだ。ひたすら自分だけを見つめている様相である。

 そんな時代でも季節は巡り、夏から秋へと移ろっていく。あなたの目に、あなたの心に、銀色に揺れるススキは見えていますか ? 秋の風情と情緒が感じられていますか ?