獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

秋の序章 秋子という名の女

 遙かに遠い昔の話になるが、大きな瞳と整った健康的な笑顔が素敵な女が居た。まだ学生であった私は知らず知らずのうちに彼女の自宅の前を通って大学へ通うようになった。タイミング良く彼女と顔を合わす機会が多くはなかったが、それでも時折は女子高の制服姿の彼女と出会えた。「おはよう」の一言だけだが、言葉を交わすことが出来た日は一日がとても幸せな気分に包まれるのを感じた。

 お互い顔見知り程度で詳しいことは何も判らなかった。知っているのは彼女の父親が私が通う大学の教授で、彼女はその娘であることぐらいであった。彼女の父親とは学部が違うので直接話したり接する機会はなかったが、学内の評判は学生の私の耳にも届いていた。私について彼女がどの程度知っていたかは判らないが、多分父親の大学に通う背の高い学生との認識程度であったろうと想像していた。

 その彼女とある日思いがけないところで出会うことになった。学友の一人に頼まれて彼が住むアパートを訪ねた時だった。いつも見る女子高の制服とは違う服装の彼女が何故かそこに居た。怪訝そうな表情をしていたであろう私を見て、彼女は突然声を上げて泣き出した。学友は彼女を慰めるでもなく戸惑うばかりで、私は何が何だかさっぱり判らず呆然と立ち尽くしていた。

 かなりの長い時間が経って、泣き止んだ彼女の口から想像も出来なかったことの経緯を聞かされた。彼女が訥々と語る傍らで学友はただ黙って彼女の説明に聞き入っていた。私は自分が場違いの場所へ迷い込んだような感覚に捕らわれ、成すことなく学友同様黙って彼女の話を聞いた。私はその時始めて彼女が秋子という名前であることを知った。幼少時に母を亡くし父親に育てられたことも知った。

 肝心のなぜ彼女が学友のアパートに居るのかについては、話の後半でようやく事情が朧気に飲み込めた。彼女と学友は恋人同士で、現在高校三年生の彼女は妊娠4ヶ月の身重であるとのことだった。そのことを父親には話せず、学友はオロオロして態度がハッキリしないため、顔見知り程度の他人である私に助けを求めたらしかった。私は自分には関わりがないことなのに、当事者が彼女であったため他人事として割り切れなかった。

 他人事なのに自分の問題として置き換えてみても、学生の私に妙案などある筈はなかった。しかし放置できないこともそれなりに理解していたので、お互いの気持や事情は一旦棚上げして中絶する以外方法がないことを冷静に説いた。学友はすぐに同意したが、彼女は頑なに拒んだ。学友がすぐに中絶に同意したことで彼女の心は凍り付き、学友の意見を一切受け付けず言葉を交わすことさえ拒んだ。

 彼女の矛先は全面的に私へ向けられ、指一本も触れていない彼女の俄造りの彼氏役を引き受けざるを得なくなった。とは言え少し前まで他人の彼女に遠慮して距離を置いていたが、何かを訴えようとする彼女の瞳は突き刺さるように私に注がれていた。私は激しく動揺して彼女を抱きしめてやりたい衝動を辛うじて抑えていた。目の前の彼女はいつも見かけた女子高生の彼女ではなく、心なしか大人の女に見えた。

 膨らんだ胸や張り出した腰に女の色香を漂わせ、私を見つめる瞳は潤んでいた。事情が変わるとこうも短期間で急速に変わる女の怖さみたいなものを感じた。数日して彼女と示し合わせて彼女の自宅へ父親を訪ねた。外見の冷たい感じとは裏腹に、彼女の父親は努めて冷静に話を聞いてくれた。以後のことは親として自分が責任を持って対応するとの返答が得られ、私が身代わりであることを彼女から聞いて知っていた。

 彼女から聞いていたとは言え急ごしらえの彼氏役を父親に見破られ、立つ瀬を失った私は必死に冷静沈着を装っていた。強がろうとすればするほど彼女の父親に見透かされていそうで恐怖心に近い焦りがあった。父親は教養人の大人らしく取り乱すことなく、私に対して「迷惑をお掛けした」と丁重に頭を下げた。「娘はすっかり君を頼っているので、迷惑でなければ可愛がってやって下さい」と頼まれた。

 その父親の言葉を傍で一緒に聞いていた彼女の、世界中の幸せを独り占めしたような嬉しそうな笑顔が眩しかった。それまで眼にしていた女子高生の彼女とは別人の、輝くばかりの女を感じさせた。急に大人になった彼女にどう接して良いか判らず、以後暫くは彼女と会うのを意識的に避けた。彼女を妊娠させた学友はそれから間もなく、大学を中退して岡山の桃農家を嗣ぐと実家へ帰った。

 思いがけないことが次々起こった大学二年の夏の終わりのことであった。少し経ってから彼女から連絡があり、女子高の夏休みが終わる前に父親と一緒に産婦人科へ行くことになったと告げてきた。その時に父親が若し迷惑でなければ私にも一緒に立ち会って欲しいと希望していたと伝えるように言われていると聞かされた。私は戸惑ったが知らんふりも出来ず彼女の父親の希望に応えた。

 大学の図書館で医学書を調べ一応の知識は得ていたが、当時私はまだ女性とセックスをしたことがなかった。中絶手術が瑕疵なく終了した彼女は、一週間足らず自宅で静養してすぐに元気を取り戻した。女性の生理とは不思議で、中絶前から急に女らしくなった彼女は、私に対する言葉遣いや、態度、物腰がより一層女らしく変わった。父親に招かれて彼女の自宅で時々食事を一緒にしたが、まるで新妻の如くに振る舞う彼女に父親の教授は眼を細めていた。

 父娘との親密な交際が始まってからも、私と彼女秋子は性的に他人の儘だった。私自身の中に学友の子供を宿したことへの嫌悪感はなく、その事情を知る前と変わらず接していたつもりであったが、女子高生とは言え秋子は紛れもなく女だった。父親公認で私と付き合い始めた秋子は、私と会って別れ際になると急に不機嫌になった。指一本触れようとしない私に苛立ちを感じていたようだった。

 街路樹や公園の銀杏が色づき始める季節になった頃、秋子は私の手を引いて無理矢理自宅の自室へ招いた。午後の西日が当たっている秋子の薄いスカートが透けて、何かしら艶めかしい気配がした。いつになく真剣な表情で「私を汚れた女だと軽蔑しないで」と訴え、「私は秋子、木々の落ち葉と同様もうすぐ散るの。散って色褪せる前に私を抱いて!!」と自ら洋服を脱ぎ始めた。

 私は為すすべもなく目線を移したが、「しっかり私を見て!!」と訴える秋子に促されて私も着ていた洋服を脱いだ。女子高三年の秋子の肉体は想像していた以上に豊かに成熟していて、妊娠体験が影響しているのか柔らかそうな乳房が動く度揺れた。秋子は自分で下着も脱ぎ捨て、戸惑っている私の手を引いて大きな胸や下腹部へ導いた。「何をしても良いから目茶苦茶にして!!」言葉はそれが最後で、その後は嗚咽に変わった。

 秋子が話した学友との交際は半年未満とのことだった。友達に紹介されて交際を始めたが、会う度に体を触る彼を嫌悪していたらしい。性行為も人目がない公園の茂みで突然襲われるように経験したとのことだった。その後も何度か求められて仕方なく応じたが、回数的に4~5回位だと告白した。妊娠が判ってからの彼の態度が煮え切らず、嫌悪感が増して別れたかったのだと告げた。

 私との性行為の後からは殆ど毎日のように私を追いかけ回すように付きまとい、人目も気にせず胸や股間に触れるようせがんだ。見かねた父親が「まるで女房気取りだな」と注意しても、秋子は気にする素振りもなく相変わらずベッタリと私に寄り添った。成熟した肉体がそうさせるのか秋子は性的にも早熟だった。性行為で高まると女子高生とは思えない大胆な"よがり声"を発した。

 人目を避けるようにして父親が不在時の秋子の自宅で会っていた私達は、秋子の大胆な求めもあって次第に性行為はエスカレートした。下着を脱いだ秋子の股間へ手を入れると嬉しそうに腰をくねらせてすぐに愛液が溢れ出した。セックスに目覚めた秋子は女子高生の自分とは別の、もう一人の大人の女でもあった。言葉に出来ないような淫らな行為を進んで求める、そんな不思議な可愛い女に変貌したのである。

 その秋子が突然私の前から姿を消した。四六時中つき纏うように傍に居た秋子が突然来なくなり、何やら言いようのない喪失感に見舞われた私は父親の教授を訪ねた。冷静さを装っても動揺を隠しきれない父親の口から出た言葉は、到底私には信じ難い事実だった。普段は冷静沈着な父親の教授の狼狽振りが、ことの重大さを指し示していた。「秋子が…」絶句した父親の沈痛な瞳から涙が流れ落ちた。

 秋子は死んだ。名前の通り枯れ葉の季節に合わせるように自ら命を絶った。秋子の心と体に何があったのか私は知らなかった。多分父親の教授も知らなかっただろう。つい先日まで私の腕の中で嗚咽して悶えていた秋子を知るのは私だけだ。しかし、そんな不謹慎なことは言えず、秋子を知っているようで知らなかった自分を責めた。秋子の心の奥に誰にも知られない深い深い闇があったのかも知れない。そんな漠然とした不安と恐れが私の全身を包んだ。

 明るく無邪気に振る舞えば振る舞うほど、秋子の心には秘密の部屋があったのかも知れないと思った。その秘密を知られないために努めて無邪気を装い、自ら傷を深めていたのではないかと思った。私がどう思おうと秋子はもう再び戻らない。誰の目に映ることもないのだ。慎ましくも盛大な秋子の葬儀が終わり、墓前でいくら手を合わせても秋子は現れない。その至極当然のことさえ当時の私は理解するまでにかなりの時間を必要とした。

 大学へ休学届を出し、私は宛てのない旅に出た。全国各地の禅寺を訪ね歩く目的のない旅は、いつ終わるともなく2年余り続いた。枯れ葉の季節は2度訪れたが、再び秋子に会うことはなく、私は風に舞う枯れ葉を飽くことなく眺め続ける日々を重ねた。

 人間の運命とは摩訶不思議なものである。その後の私の傍らには幼稚園から短く終わった女子大まで、秋子と一緒に過ごした親友が妻として暮らしている。私はというと幾つかの職業を変転し、仏教美術に特化した寺院専業の仕事を始めた。運命のいたずらなのか、前世から約束されていたことなのか、私には判らない。判っているのは二度と秋子が私達の前に姿を現すことはないということと、秋子の父親が大学を辞めて執筆生活に移ったこと、秋子が死んで長い長い歳月が過ぎ去ったことくらいである。

 昔々の遠い日に秋子という名の女がいた………。