獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「鐘の鳴る丘」の時代

 タイトルに掲げた「鐘の鳴る丘」をご存じの方々が現在どれ位おられようか。敗戦後の荒廃した街々に溢れ出した、家や親兄弟を失った少年・少女たちを主人公にしたNHKの連続ラジオドラマである。身に纏う洋服はボロボロにすり切れていても、キラキラ輝く瞳に明日への希望を漲らせていた子供たちの物語である。

 遠い遠い記憶の彼方へ押しやられてしまった"あの時代とあの日"は、決して一夜の夢ではなかったのである。東京・上野の山は野宿するそれらの少年・少女たちが溢れて、歩くのもままならない状態だった。焼け野原の街々には食べものを求める人の群れが溢れて、発着する列車は屋根のない貨車にまで乗客が溢れ、蒸気機関車の前や脇まで人が乗っていた。

 住む家がない、着る洋服がない、食べる食事がない。頼る親や兄弟を戦争や戦火で失い、我が身一つの天涯孤独となった少年・少女たちは"浮浪児"と呼ばれて、その汚れた身なりから野良犬や野良猫同然に扱われたのである。雨の日や風の強い日、冬の寒さを凌ぐため終電が出た後の駅へ殺到し、排除しようとする駅員や警官に追い払われていた。

 キンコンカンと鐘の音がラジオから聞こえてくると、我が家はやりかけの手伝いを止めて家族全員がラジオの前に正座した。意味など判らない赤児から祖父母まで、小学生だった私を含めて全員が、ラジオから聞こえてくる元気な子供たちの声に拍手し、時に涙したのである。国民の誰もが今日という日を堪え忍び、明日への希望に夢を託していた時代である。国家を信じて晴れ渡る青空を待ったのだ。

 大地主だった母方の実家を頼って地方への移住を決断した我が家は、用意された迎え人に連れられて東北へ向かう列車に乗り込んだ。停車中の列車は超満員鈴なり状態で、デッキから車内の通路まで人が溢れていた。到底中へ入れる状態ではなく、迎え人が母のために座席を一つ買収して、母と私は開放されている窓から荷物と一緒に車内へ押し込まれた。迎え人自身も発車間際に窓から飛び乗り、何とか無事に長い列車の旅になったのである。

 自らも苦学力行の少年時代を過ごした劇作家菊田一夫の名を、全国に知らしめた「鐘の鳴る丘」は遙かに遠い日になった。あの時代特有の土埃の臭いがする空気を覚えておられますか? 客車の屋根や貨車の荷物の上にまで人が乗っていた汽車。穴だらけのでこぼこ道路のあちらこちらへ落ちていた馬糞。それらのどれもが「鐘の鳴る丘」のキンコンカンという鐘の音と共に蘇るのである。敗戦後の窮乏はこの豊かな時代には想像することさえ難しくなった。

 今も時折聞こえてくるあのキンコンカンという鐘の音と、元気な子供たちが歌う「鐘の鳴る丘」の主題歌。上野の山で眼にした貧しい身なりの"浮浪児"の少年・少女たち。現代社会とあまりにも大きなその落差に愕然としながら、夢幻ではない昨日のような記憶を辿っている。多分そう遠くない日に再び訪れるであろう"あの時代とあの日"に、単なるデモのお題目ではない「平和」を願うのは年寄りゆえであろうか。