獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「鐘の鳴る丘」と「駅の子」

 遠い遠い記憶になってしまった「鐘の鳴る丘」について書いた。書き終えてから、少し前にNHKがテレビで「駅の子」というドキュメンタリーを放送したのを思い出した。都合で見れなかったので録画してあった筈で、テレビの録画リストを見たらあった。終戦当時の白黒画像に再現映像を交えた力作で、ご覧になった方々が多いのではないでしょうか。

 懐かしさと同時に胸にずきんと突き刺さる『浮浪児』と言う言葉を久々に眼にして、言うに言われぬ感慨を覚えた方が多かったと思います。東京のみならず全国各地で見られた戦災孤児は膨大な数で、国や自治体はその正確な数さえ把握していなかった。把握する余裕が行政側にもなかったのである。単なる悲劇と片づけて忘れ去られて良いのかを、豊かになったこの時代に突きつけている。

 単なる高齢者の懐古趣味などではない、私達日本人が自らの五体と命を預けて築いてきた歴史が消えようとしているのである。善悪や数字で割り切れない熱い血の歴史がだ。大いに声を上げようではないか。終戦時のあの惨状は、生身で体験した者にしか理解不能であろう。どんなに言葉や文章で説いても、月並みな表現では豊かな時代に生まれ育った人達には伝わらないだろう。

 「鐘の鳴る丘」や神奈川県大磯にあった沢田美喜さんの「エリザベス・サンダー・ホーム」を次の世代に伝えねばならない。同様の施設が全国各地に誕生して、決して豊かではない無名の人々が自らを投げ打って懸命に取り組んだ。多くの国民が自分の生活もままならない時代にである。他人の不幸を我が身の不幸と捉えて、奉仕の枠を飛び越えて必死になったのである。

 現代社会の豊かさは私達に何をもたらしたであろうか。この豊かな時代に他人を思いやる心を持つ人がどれ位いるだろうか。衣・食・住の全てが欠乏して、我が身の命をつなぐのさえ容易でない時代に、人は何ゆえあそこまで献身的になれるのか。それに引き替え現代社会はどうか。多くの国民が我が身を更に豊かで便利にしようとはするが、その意中に他人への思いは殆どないだろう。

 そんな現代社会でも唯一希望はボランティアである。相次ぐ自然災害に見舞われて、悲嘆にくれる被災者たちを助けようと全国から無償のボランティアが集まる。誰に頼まれた訳でもないのに、黙々と、ただ黙々と、埃や泥にまみれて奮闘するのである。ここにこの時代が見失いがちな日本人の矜持がある。黙々と終戦後の時代を支え続けた日本人の良心が受け継がれている。

 惜しみなく一身を投げ打った沢田美喜さんは、死後もその輝きを失っていない。人間社会の理想とその人間愛を現代社会に問い続けている。多くの日本人が忘れ去ろうとしている「終戦後」という時代があったことを、具体的な行動で次の世代へ引き継ごう。言葉に尽くせない苦難に満ちた「終戦後」という時代が、私達の記憶から消え去る前に声を上げませんか。

 それがせめてもの「鐘の鳴る丘」世代や、「駅の子」世代と同じ時代を生きた者の責務であるように思う。時代に翻弄され、時代に見捨てられて死んでいった「餓死児」たちを、同世代の私達は自分が豊かになったから知らん振りで良いのだろうか。