獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ブログ削除の「さよなら」感想

 この2年足らずの間ブログを書いてきて感じたことだが、全体的印象として何やらこの国は国民の多くが同じ顔をしている印象を受けた。特にこれと言って格別の目的があって始めたブログではなく、あくまで気まぐれな老人が気儘に私見を書き綴ってきただけだが、それでも政治向きのものには賛否両論のコメントがあった。

 政治向きとは言っても当事者的視点のものはなく、老人の老人的傍観者としての冷めた目線なのだが、反論コメントの殆どはまるで安倍政権の当事者であるが如きものが散見された。そのどれもが指摘する「安倍政権擁護論」を見て、改めて日本人の多くが同じ顔をして同じ方向を向いているのが良く分かった。

 単一民族としての長い歴史を持つ我が国は、善し悪しは別としてややもすると他人に同化したり、大勢に押し流される傾向が顕著だ。未曾有の敗戦の惨禍を経験して、主体性を重んじる民主主義を受け入れた筈であるが、右翼的志向が強い安倍政権を多くの国民が支持している現状に少なからず戦慄感を覚えた。

 「老兵は死なず、消え去るのみ」とのマッカーサーの言葉は古くなったが、同じく老人となった世代の一人として、歴史の教訓が教訓として生きているのか些か不安を禁じ得ない。世の大勢に同化して周囲に同調するのは自由だが、異なる考えを認めようとせず排除しようとする指向は紛れもなく「この道はいつか来た道」である。

 一人一人の姿形が異なるように、一人一人の考えが違うのは不思議ではない。違いの上にこそ自主性と主体性が生まれ、その違いが集約されて民主主義を構成することをよもやお忘れではないだろう。双六ゲームではないが、何かしら振り出しに戻ろうとしているある種の"思惑"を感じるのは、老人ゆえの取り越し苦労であろうか。

 暇な老人が"暇つぶし"に読むだけの時代遅れのブログでも、ネットを通じて時代の鼓動が垣間見えた。ヤフーブログの終了が迫る中で特段の未練はないが、若しなお生き長らえて事情が許せば、他の手段で再び世に問うかも知れない。ひとまずの「さよなら」である。