獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

東京都のカラス禍

 最近になって急増したわけではないが、東京都内のカラスは異常に多い。石原都政の時代には「捕獲大作戦」が実施されたが、石原都知事の引退で尻すぼみになり、いつの間にかドサクサに紛れて立ち消えになってしまった。東京は街にゴミがない"清潔で治安の良い都市"として有名だが、やたらに増えて至る所で眼につくカラスは大迷惑だ。

 カラスに限らずだが、鳥や動物の適正化には必ず各種の愛護団体が現れる。いつも不思議に思うのだが、それほど鳥や動物が大切ならば鯨を食肉として公然と売る我が国の現状を何故放置しているのかである。世界の主要国がこぞって保護すべきと訴える鯨には何故か目をつぶり、誰の目にも明らかな厄介者のカラス捕獲に何ゆえ反対するのか。

 門外漢ゆえ言いたいことを言うが、そもそも「愛護」とは何ぞやを問いたい。人間は万物の霊長説に加担する気はないが、少なくとも地球上で人間生活を営むのに疫害となるものは排除せねばならない。安全・快適な人間生活を脅かすものは不快・不要の部類で、現在の東京のカラスは文字通りそれに該当する。

 来年のオリンピックに向けて東京都のみならず、国も一体となって各種の取り組みが進められている。どんなに近代化されて未来志向の施設や設備が整えられようとも、頭の上を飛び交う無数の黒い集団を放置して何が「オリンピック準備」かと問いたい。世界中から訪れる観光客に、手に持つファーストフードに食いつくカラスを見せるのだろうか。

 現在の東京は安住の地を求めてカラス集団の争いが頻発している。私が住む多摩地区は自然条件に恵まれている分カラスの数が多い。自宅の目の前に広がる「三方の森」も、昨年まではカラスが生息していなかった。それが今年の夏以降急激に来襲が増え、住みかを巡って既存の鳥さんたちと争っている。

 自然淘汰は掟とは言え、小賢しい大きなカラスが増えれば有益な小さな命が失われていく。「鳥類愛護」「動物愛護」を標榜するならば、しっかりと目を見開いて何が必要で、何が不要なのかを見極めねばならない。ただ闇雲にカラスの捕獲に反対する愛護団体など、凡そ愛護団体の名に値しない。何を考え、何が目的なのか、頭を冷やして良くお考え頂きたいと思う。

 "アホバカ"のそしりを免れ得ない愛護団体に支援されて、今や東京のカラスは目に余る。「カラスの2020東京オリンピック」と後世に汚名を残さぬよう、早急な対策と手段が必要である。組織委や準備委は一体どこに目をつけ、何を見ているのだろうかと、些か疑問の念を禁じ得ない。