獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

秋桜便り

 日本の四季を代表する風景の一つ「秋桜」の季節になった。私は元来日本語に愛着と拘りが強いので、「コスモス」とは書かず必ず「秋桜」と書く。"コスモス"と書くと何やら日本の風景と違うと感じて、違和感が否めないのである。

 「秋桜」には人生の転換点となった深い思い入れがある。この季節になると否応なしに、私の耳には山口百恵が歌ったさだまさしの名曲「秋桜」が蘇る。もう既に数百回、数千回は聴いている歌なのに、ラストステージで彼女が歌ったこの曲を聴くと今もなお涙が頬を伝う。紛れもなくそこに存在していた日本人母娘と、どこでも見かけた日本の原風景を見る想いがするのである。

 秋の日の澄んだ空気と青空、現在は失われた日本家屋の縁側で、嫁入りを目の前にした娘と母の間に流れる無言の哀歓。風に揺れる秋桜。薄幸の娘に寄せる母の、日本女性ならではの情緒が形もなく胸を揺する。豊かな暮らしが日常化した現代が見失いがちな、日本人の心と形がそこにあった。激しく派手に訴えるではなく、切ない思いを淡々と綴ったこの名曲が忘れられることはないだろう。

 我が国のポップス音楽の転換点ともなったこの曲の登場は、「日本レコード大賞」の受賞を逃がした故に"永遠の名曲"になったと私は思っている。この「秋桜」が発表された年のレコード大賞ピンクレディーの「ウォンテッド」である。これでレコード大賞の権威は地に落ち、業界は"売れる音楽"へ急旋回したのである。音楽性や芸術性が見捨てられて、大衆受けするだけが取り柄の"ガチャガチャ音楽"が全盛になるのである。

 私が「日本のポップスは死んだ」と判断して音楽界から身を引いて以来長い年月が経過した。80年代、90年代と低迷の深い岐路へ落ち込んだ日本のポップスは、その後も回復の兆しが見えずにいる。一時コピー文化とも言うべき亜流音楽が登場して、安室奈美恵などが計算され尽くした「商業主義路線」で派手に動いただけである。音楽の世界だけに限らないが、一度失ったものは容易に元へは戻らない。

 広い場所に秋桜が群生して風に揺れる風景は各地にある。自生のものが失われて減った反面、人工的に人間が植えたものは増えた。どちらも紛れなく秋桜である。青空を背に風に揺れる秋桜は、過ぎ去った熱く激しい夏への愛惜を込めて語ることなく風に揺れ続ける。この季節に嫁入りする娘たちも少なくはないだろう。縁側のある家は殆ど消えてしまったが、庭や畑、通り道の傍らに咲く秋桜は数多くある。

 今年もまた秋桜の季節になった。派手な色使いや形の奇異さはないが、日本人が愛して止まない春の桜にも似て、色とりどりの秋桜が咲いている。遠出をして広場に咲き乱れる秋桜も良いが、身近でひっそりと咲く秋桜も悪くない。今も難聴の耳の中で山口百恵の歌が聴こえ続けている。今年はどこの秋桜に逢いに行こうか。