獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

ルールとマナー

 先日久しぶりに会う旧友と連れだって隣町の大型商業ビルにある喫茶店へ入った。我が老妻も一緒なので当方は3人組である。三連休の祝日だったので街はどこも混雑していた。私たちが入った店も混んでいたが、運良くすぐ着席できた。案内された席の隣テーブルには20歳代と思しき男女4人組が陣取っていた。

 隣席は女性が3人で、男性が1人だけだったが、女性達の声が異様に大きく店内の奥まで届くほど騒がしかった。メイクや服装を見る限りではごく普通の娘さんたちに見えたが、周りの席から睨まれているのに気づかず、大仰な身振り手振りを交えて自分達だけの世界に浸っている観があった。

 近年は外国人が増えたが、白人や黒人は外見ですぐ分かるし、中東系も肌の色で見分けがつく。厄介なのは圧倒的多数の中国人と朝鮮系である。外見上では日本人と変わらないので、言葉を発するまで判別できない。但し日本人と同じ肌の色と顔つきをしているが、中国人や朝鮮系はルールやマナーが全く違う。

 東京都は70歳以上の高齢者に「シルバーパス」を発行しているので都内のバスが無料である。足腰の衰えが隠せない高齢者は勢いバスを利用する機会が多い。バスのみならず電車にも共通しているが、中国人や朝鮮系は決して席を譲らない。それで無言であっても成る程と納得するのである。人間としてのルールやマナーと、動物的ルールとマナーがあるのは承知しているが、日本人にも動物的ルールとマナーを持つ人種がいるのには気づかなかった。

 話が脱線しないよう本筋に戻るが、前述の若い男女4人組はかなりの時間が経過しても席を立つ気配はなく、当方の高齢者3人の会話はうるさくてお互い聞き取れない。4人組の会話が途切れた時に急いで会話を交わす方法で対処した。頻繁に迷惑だと訴える視線を送るが気にする様子はなく、入口に立つマネージャーと思しき男性に告げて注意を要請しようかと何度か思った。

 休日の午後の語らいに水を差すのも野暮だと考えて、当方は苦笑しながら見逃していた。他人に注意される前に自分達で気づくだろうと思った当方の淡い期待は見事に裏切られて、4人組のやかましい会話はその後も暫く続いた。当方は高齢者同士で隣に中国人が居ると納得して無視することにしたが、私たちが入店して1時間近くを経過してやっとその4人組は退席した。

 ルールとマナーはお互いが認識して、守り合うことで成立する。ゆえに片方にその認識や知識がなければ話にならない話である。少し前までごく普通に行われ、守られてきたルールとマナーが随分と様変わりしたものである。傍観する限りではこの男女4人は、親や学校での「躾」を知らずに育って大人になったのだと思うが、この手合いは使用したトイレのドアを閉めず、手洗いの水が流れっぱなしでも平然と見過ごすのだろう。

 脱いだ洋服は畳んで仕舞うことを知らず、脱いだ靴が玄関に散乱していても多分平然としているのだろう。使った食器が台所に溢れていようと気に掛けず、次々新しいものを買うのだろう。汚れた下着は洗わず捨てて、新しいものを買って事足れりとするのであろう。豊かな時代になるということは,こういうことなのであろうか。これが普通でグローバルスタンダードだとするなら、「日本文化は死んだ」と言わざるを得ない。

 他人を思いやる心、些細なことも丁寧に相手に伝えてこその人間関係。慎重に言葉を選び、表現方法を考えれば、お互いに肌触れ合うような親密感が得られる。外国人がどうであろうと、日本人には日本人として譲れない「誇り」があった筈である。事細かに行き届いた繊細な神経が脈打っていた。2020東京オリンピックの招致にも使われた「おもてなし」は、正しく日本の心であり、日本人の心ではなかったのか。

 失うことは容易いが,それを再び取り戻すのは容易なことではない。戦後の高度経済成長で日本人の暮らしは格段に良くなった。しかしその一方で、ルールやマナーに基づく「躾」を知らない世代が成長して親になった。親自身が「躾」を知らないのだから子供に教えようがなく、学校に期待されても教師もまた「躾」を知らないのである。"古き良き"などと懐古趣味に浸っている場合ではないのである。

 豊かさを得た過程で見失ったもの、気づかぬ間に失ってしまった「日本人らしさ」と、その「日本人らしさ」に基づくルールやマナー。カネで買える価値は数多くあるが、カネで買えない「日本人らしさ」は日本文化そのものだ。他人迷惑を迷惑と感じず、他人を騙して金銭を得ることが"当たり前"になりつつある現在、日本人が失って久しいルールとマナーを改めて感じさせられた休日午後の"語らい"だった。