獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

嘘から出た誠

 古い言葉で恐縮だが「嘘から出た誠」という表現が昔はあった。近年耳にする機会が滅法減った観があるが、それもその筈で現代社会は「嘘」を抜きにしたらすべての事象が消え失せる時代のようだ。ともかくも売って利益を得なければ社会全体が維持できない時代だから、如何に巧妙に他人を騙して買わせるかが勝負の世の中である。

 民主主義だ、自由主義だと持て囃され、戦後の我が国は戦勝国アメリカの流儀をひたすら真似てきた。良いのか悪いのか、正しいのか正しくないのか、そんなことを考える暇もなく戦勝国の言いなりになって、無我夢中で焼け跡からの復興へひた走った。海の向こうにある「アメリカンドリーム」に憧れ、それを目指すことが何物にも勝る「正義」だった。

 "奇跡の復興"と海外で評価された経済成長は、太古の昔から慣れ親しんできた日本人の流儀を根底から変えた。「武士道」や"勧善懲悪"の正義感は映画やテレビ・ドラマで見るものになり、「徳」を重んじた孟子孔子の教えは海山に埋没した。礼節を大切にした「日本人らしさ」は災害時のボランティア活動のみになった。

 誰もが自らの利益を損得で判断する時代になり、古い日本人の衣をいち早く脱ぎ捨てて利益を最優先した者が経済社会の勝者となるルールが確立された。正邪が問われることはなく、巧妙に法の網の目をかいくぐることがビジネスマンの能力になった。利益こそが、カネこそが唯一絶対の正義になり、人間が本来持つ善意や協調は片隅へ追いやられている。

 時代の変化は予測を超えて大きな"うねり"となって人々を呑み込み、「巧妙」と「狡猾」が時代のキーワードに躍り出た。その実例が話題の人カルロス・ゴーンであろう。舞台になった日産自動車を含めて、何が正義で何が常道なのかが分からなくなっている。巨額の金銭を得た者が"勝者"で、そのためには何をやっても許されるのが現代のルールらしい。

 民主主義の法制度は今や「喜劇」の舞台だ。"とってつけたような屁理屈"を大仰に述べる司法の場は、どんなテレビ・ドラマより遙かに面白い"お笑い劇"だ。嘘と嘘とが角突き合わせる国会は、最高権力者の内閣総理大臣自らが「嘘のデパート」を開店している。言う方も嘘と分かっていて、聞く方も嘘であると承知して聞いている。

 民主主義の正道は今や「金儲け」のための仕掛けで、カネを「持てる者」と「持たざる者」とのせめぎ合いの様相が濃厚だ。勝者は常に「持てる者」で、世の中のルールやマナーはそのために塗り替えられ存在している。共産主義が封建君主を目指す現代社会は、信じるに足るイデオロギーが最早存在しない。"弱肉強食"の時代をどう生き抜くかは、それぞれの「自己責任」に任される。

 そんなこの時代に「嘘から出た誠」があるとすれば、それは紛れもなく"奇跡"であろう。金の草鞋を履いて百里・千里の道を歩もうとも、「嘘から出た誠」に出会うことはあるまいと思う。砂漠の如き現代社会で、文字通り「砂を噛む」想いが精々のオチであろう。"生き馬の目を抜く"と言われた東京は間もなく「東京オリンピック」の喧噪に包まれるだろう。

 その「東京オリンピック」でどこのどなたが巨万の富を得るのか、スポーツの結果より遙かに興味を引く。裏と表がめまぐるしく変わる時代に、表舞台だけ見て楽しめる人は誠にハッピーである。その裏で、その陰で、どんな人間ドラマが演じられるのか、目を凝らして見つめれば案外「嘘から出た誠」が見られるかも知れない。