獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

逆転した右翼と左翼

 古くから言われて来た右翼とか左翼という思想集団が分からなくなっている。保守とか革新とか言われていた時代が遠のき、大半の国民が思想そのものに興味や関心を失う時代になっている。右も左も関係ない、取り敢えずそこそこ豊かな暮らしが出来れば良いとする層が圧倒的多数になった。

 政治そのものが国民から遠のき、遠くにあるが必要であれば手繰り寄せられる、そんな存在に変わった。前世紀型とは明らかに違う21世紀型民主主義の誕生である。権利だ、義務だと、血相変えて必死になった戦後の時代は遙かに遠くなった気がする。現国民の多数は生まれた時からそこそこ豊かな暮らしに包まれており、それが普通であって無理に変換する必要性を感じていない。

 現在の安倍長期政権が思想的には「極右」に分類されることも、多くの国民は知らないか、或いは忘れ去っている。右だ左だとレッテルを貼って議論することにそもそも興味がなく、実感できる違いは前民主党政権との相違点だ。言うことは理想的でも、実際の政治は訳が分からない混乱だけであった前民主党政権と比べれば、善し悪しはともかく"真っ当な"政治が行われていると等しく認めざるを得ない。

 右翼であろうと左翼であろうと、善いものは善いと政策コピーを厭わない安倍政権の施策は、いつの間にか国民各層に浸透して抵抗感や違和感を消し去った。特に変わることや換えることを望まない国民意識は、次第に投票所から足が遠のく結果を招いているが、善し悪しを超えた「安定感」が我が国全体を包んでいる。

 「令和」に元号が変わった21世紀の現在も、濃厚に戦後を引きずって生きている思想集団がある。日本共産党に代表される左翼集団だ。戦前・戦後の時代に数多く誕生したマルクスレーニン思想の共産主義国家は、人類の理想とされる主義・主張と裏腹な醜悪な悪臭漂うブラック国家を次々生み出した。党幹部に集中する権力を私物化し、例外ない独裁政治を欲しいままにしている。

 左翼政権のモデルとされた旧ソ連邦が内部崩壊しても、それをコピーした中国や北朝鮮は独裁政治を手放さず、巧妙に国民を偽善で包み込んで延命している。中東や南米に見られる共産主義政権も等しく、国民の知的レベルの低さを逆手にとって権力を駆使している。単なる理論ではなく、実相化した現実を否応なく見せつけている。

 我が国の左翼思想集団は眼に見える現実が数多目の前にあっても、その現実を見ようとしない誠に不可思議な思想集団である。これ以上ない醜悪な実態にも関わらず、尚もマルクスレーニン主義を信奉して止まないのである。有識者とか、知識人・文化人と呼ばれるインテリ層の多くは、未だに古色蒼然としたセピア色の夢から覚めていない。

 世界共通の敵と見做される共産主義を、公然と党名にして憚らない恥知らずな政党が実際にある。それに追随して相変わらずセピア色の夢に陶酔している"認知症的"人種がいる。人呼んで「オールド左翼」と蔑称されるが、当事者たちは一向に気にする様子がない。ここまで徹底されると文字通りの「バカ集団」と言わざるを得ない。

 60年代までは左翼集団がピカピカに輝いていた。世の中を支配する保守的政治に抵抗する「知識層」と見做されて、老若を問わずかなりの尊敬を集めた。国会周辺を取り巻いた無数の群衆によるうねるような激しい安保デモ。東大安田講堂での攻防や、新宿西口広場を埋め尽くした学生たちの「フォークゲリラ」。ベトナム反戦を掲げた「ベ平連」活動など、世の中を動かし、時代を動かすエネルギーに満ちていた。

 国民の願いや希望を受けて、それを行動で示した左翼思想が輝くような時代があった。それゆえ「革新」と呼ばれ、美濃部亮吉東京都知事はその象徴であった。その左翼は、あの左翼は、一体どこへ行ったのだ。現実や実態からかけ離れて、何ら効力がない無念無想の「屁理屈」を唱えるだけの左翼思想に、左翼を名乗る資格などない。

 現実世界は根拠を失い、存在意義を失った「死に体の共産主義」に愛想づかしをしている。そればかりかかなり強烈な「嫌悪感」さえ抱いている。左右に例えれば「左」陣営が余りに無能化しているので、やむなく「右」を選択せざるを得なくなっている。現安倍政権の盤石な強さは、比較対照する相手が不在ゆえである。現有の左翼勢力と野党陣営はその意味で、最も強力な安倍政権支持層とも言えるだろう。

 言い換えれば現行の左翼陣営が存在する限り、安倍政権は永久不滅だとも言える。単に安倍政権やその後に続く自公保守政権の、"引き立て役"に堕していることにさえ気づかないらしい。もはや右翼・左翼の区別は意味を成さず、与党か野党かの別だけが我が国を覆っている。夢遊病者の如き左翼思想集団は、大いにマスターベーションして陶酔すればいい。例え間違えても政権復帰や政権奪取など考えない方が良い。

 今や世の中は現実主義の時代である。"絵に描いた餅"など誰も必要としていない。例え「極右」であろうがなかろうが、多少なりと国民の暮らしに添う安倍政権大歓迎なのだ。「左」の夢など誰も望んでいない。革新がセピア色の旧態思想化した現在、かつて進歩がない旧態思想と揶揄された保守が現在の革新思想だ。

 保革逆転による「右」「左」がない時代に私たちは生きている。それを善しと判断するか、悪しきと判断するかは、現実世界に生きている人間が判断すべきことだ。決して認知症化した夢遊病者集団に判断を委ねるべきではない。それが唯一確認できる現代の真実のようだ。