獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

高齢社会の「振り込め詐欺」

 昨今の世の中は少々のことで驚いていたら生きることが難しい時代の様相だ。随分前から再三報道され、語られてきたことが、一向に好転しない。このまま放置されて末はどうなるのだろうかと老婆心が掻き立てられる。

 「振り込め詐欺」なる言葉が登場して長く経つが、相も変わらず被害が減る兆しは見られないようだ。言葉は悪いが半分呆けた年寄りを騙すのだから、言うなれば赤児の手をひねるのと同様であろう。元手いらずで労せず大金が手に入るのだから、幾ら世間が騒ごうとむざむざ手を引く若者は居ないだろう。

 騙す方と騙される方、そのどちらが悪いのか一概に決められないご時世である。善悪が頻繁に逆転するのを誰も驚かない時代だから、正邪はその時々で何事もなく入れ替わる。他人を騙して利益を得るのが普通になっている時代なので、大金を所持するカモが目の前にいれば誰だって"その気"になるだろう。

 差し当たって使う宛がないのに大金を持つ老人は、今や社会悪にされ兼ねない。資本主義の原理・原則から外れて、「死に金化」している資金を有効に活用するという屁理屈が正当性を帯びて聞こえる、そんな時代に私たちは生きている。勧善懲悪の時代は遙かに遠い昔になった。

 騙される人間がいるから騙す人間がいるという理屈がある。鶏と卵の関係にも似た話だが、どちらが善人でどちらが悪人だと決めつけられない不可思議な時代である。騙すか騙されるかは主客転倒で、企業と消費者の関係にも当て嵌まる。言うなれば功罪相半ばする微妙な問題だと言える。

 理屈はともかくとして「振り込め詐欺」は一向に減らないだろう。"オレオレ詐欺"とかに名称は変わっても、更に手口は進化して巧妙になるだろう。資本主義の原理・原則からすると、他人を殺傷しない限り"カネ儲け"は原則自由だ。誰が加害者で、誰が被害者になるかは、その時の成り行き次第である。

 善し悪しはともかくとして世の中は圧倒的高齢化社会である。痴呆が日常化する中で、騙されるなと言う方が土台無理な理屈だ。むしろ騙されて大金を放出するのが、現代社会の当たり前で新しい常識であろう。騙される高齢者を責めたり諭しても、その前に防止策を講じない家族や関係者の責任は軽減されない。

 「振り込め詐欺」の常套手段は100%電話である。ならばその「非通知通話」を受信できないようにすれば良いだけの話だ。その程度の知恵や法改正が何故出来ないのか不思議でならない。法制度は生きている人間のためにある。犯罪としての厳罰化を含め、あらゆる方法・手段を総動員すれば完全に防止できるのに、何故か立法や行政、司法は動こうとしない。

 全てが万事警察任せで、他の行政機関は口先だけで模様眺めの様相だ。意地悪に勘ぐれば「安倍政権の重要経済政策の一つとして、むしろ黙認して奨励している」とも解釈できる。幾ら資本主義の閉塞感が強まったにしても、そこまで我が国の施策が「地に落ちた」とは考えたくないものである。

 表社会の施策が手詰まり状態であるのを良いことに、人間社会の道理と社会正義を嘲笑して裏社会の「振り込め詐欺」は続く。やがて遠くない近未来に、「振り込め詐欺」のシステムを応用した新しい社会犯罪が発生するだろう。それも一種のみならず、多種の複雑怪奇な犯罪システムが多発するのが見えるようだ。

 少子高齢化社会に有効な対策を打ち出せなかった政府と立法府の怠慢は、現在と将来に大きな課題と負担を課した。現在の社会システムはそのこと自体にすら気づいていない。高齢化して呆けても、人間は人間なのである。実態は意思を持たない植物の如くであったにしても、生きてこの世にある限り家族や社会の負担は消えない。

 人間としての尊厳云々ではないのである。如何に他人に騙されず、自分で自分の人生を全うできるかの差し迫った現実問題だ。それを保証してくれない社会システムが、何ゆえ「豊かで便利な社会」なのかが問われているのである。多くはない資産を蓄えることが悲劇の発端になっている社会が、「真っ当だ」と偽れる口実はないのである。