獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

懲りない女房

 我が老妻殿は三日と家に落ち着いて居ることがない。何がどうであるのは良く分からないが、事あるごとにお出かけになる。若い内は気に掛けることもなかったが、齢80になってもそのペースは変わらない。別段加害や被害が発生するわけではないので傍観しているが、案の定この2、3年次々と転倒事故に見舞われている。

 それでも持って生まれた習性というのは変わらないようで、怪我が回復するや否やすぐさま元のペースに戻る。手首は曲がり、足の骨折は現在も整形外科へリハビリに通いながらも、なおもどこへ行くのか知らないがほぼ毎日のように外出する。「年齢を考えて少しは自重すれば」と注意しても、一向に聞く耳を持たない。

 こちらは他人の生活に干渉する趣味を持ち合わせていないので、どこで何をしようが他人迷惑にならない限りは一切干渉しない。それが良いのか悪いのかは分からないが、他人事ではなく自身が痛い思いをしたり、辛い思いをする割りには一向に改まる気配がない。先天的に底抜けに明るい楽天家で、常に周囲を明るくしてくれる効用は認めざるを得ないが、ここまで来ると"狂"の字がついても不思議ではない。

 その老妻殿が突然寝込んだ。食事も摂らず終日床について2日経った。老夫婦のみの所帯なので、片方が寝込むと残る片方が介護せざるを得ないのだが、その片方も大手術後の病み上がりで体調が万全とは言い難い。自分の身の周りのことがやっと出来ている状態なので、夫婦と言えど他人の世話をする余裕はない。身近に親戚縁者が居ないこともあってそれぞれ自分自身で対応する以外の手段はないのである。

 運悪く突然のことで食料の買い置きもなく、冷蔵庫にあるもので食いつなぐ非常事態になった。老妻殿はそのことを誰よりも良く知っているので、どうやら"やせ我慢"をしているらしいが、そのあおりを食ったこちらは閉口である。自宅から100メートル足らずの場所にスーパーや外食屋さんなどがあるのだが、普段行き着けないので外出はしない。自宅へ閉じこもって3日が経った。

 こちらは難聴で耳が聞こえないので、普段から家庭内の会話が極度に少なくなっていた矢先のことで面食らった。亭主が側に居ても殆ど宛てに出来ないのを知っている老妻殿は、3日目になって起き出し自力で近所の整形外科へ行った。病院での診断は以前転倒して骨折した足の骨が曲がって、神経を圧迫しているための激痛とのことであったらしい。年齢的に矯正は困難なので、コルセットで調整する方法になったようだ。

 我が家は出るとすぐ目の前に66段の石段がある。降りた先がバス停で、その目の前にスーパーや外食屋さんなどがあり、整形外科医院や歯科医院などもその一角にある。距離的には至近で便利なのだが、両側に3本の手すりと途中2カ所にベンチがある広い石段は結構急斜面だ。脚の激痛に耐えながら付き添えなしでこの石段を上り下りする覚悟と勇気には敬服するが、「外出癖」が思わぬところで役に立っているらしい。

 老いたとは言え女の意地っ張りは大したもので、妙なところで我が老妻殿に感心した。当人は注射で痛みが消えると"あっけらかん"としたもので、帰り際にスーパーへ寄って弁当と食料品を買って配達を依頼してきた。脚の痛みが出たのは今回が初めてではなく、以前から何度も経験している。その都度整形へ行って急場を凌ぎ、当面の処置をして貰っては翌日からまた外出する。

 何度繰り返しても一向に懲りる気配がない。「堂に入った」という表現があるが、我が家族ながら呆れ果てて最早言葉がない。さぞかし辛いだろうなと同情するのだが、同情するのが馬鹿らしくなるほど"あっけらかん"としている。今日は何々を見つけてきたと自慢する口調は、いつも通りである。元々食い道楽が洋服を着て歩いているような女なので、老いては一段と磨きが掛かって実に堂々としている。

 かくして我が家は程なく通常の賑やかなペースに戻るだろう。深刻だったのは激痛に見舞われた当人ではなく、半病人の連れ合いであるこちらであった。昔「懲りない面々」という言葉が大流行したが、今以て我が家の老妻殿は「懲りる」様子がない。持って生まれた習性はかくの如く鉄壁で、これを破ろうなどと考えると大怪我をする羽目になるようだ。誠に「君子危うきに近寄らず」である。