獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

放任される高齢ドライバー

 今や高齢者が運転する車の事故がない日がない。それでも黙認され放置されて、多くの認知症寸前の高齢ドライバーが堂々と公道を走っている。日常的に眼にするこの光景だけ見れば、この国は規律ある法治国家の先進国だとは到底思えない。誠に不可思議極まりない奇妙な光景と言わざるを得ない。

 人間は生きている限り人権が保証されている。他人を殺傷したりしない限りは何をしようと原則自由なのである。この原理と原則通りならば、例えば100歳を超える人が車を運転して混雑する国道交差点を走ったり、入口と出口が複雑な都市高速道路を100キロ超の猛スピードで走っても、違法で検挙されることはないのである。

 法制度には少なからぬ矛盾がある。極端な話が命が消えかけて呼吸器を使用している超高齢者であっても、基本的人権の名の下に車の運転が可能なのだ。例え間違いなく事故を起こすと断定されるような状態でも、高齢者テストに合格していれば合法的に車の運転が出来るのである。基本的人権は一体誰の権利を保証し、誰を守るためにあるのか。

 何かしら腑に落ちない思いを抱くのは誰しもであろう。その腑に落ちない現象行為が何故か公認されているのが現実だ。理由が様々あるのは容易に理解できるが、如何なる理由や訳があろうと、他人を殺傷すると予測される行為が放置されて良い筈はなかろう。だが現実には、それが合法という名の下に黙認・放置されている。基本的人権は痴呆が進んで認知症寸前の高齢者のためにあるのではない。無関係な普通に生活している市井の人々は、誰がどう守るのか。

 現代社会は超高齢化社会である。生活の変化と医科学技術の進歩によって、私たちの平均寿命は大幅に延びた。少し前の時代までは人生70年とか言われていたのが、今や80歳、90歳はおろか100歳越えも珍しくなくなった。年老いて身体機能が衰える限界点が見え難くなり、60歳を期に控えるべしとされた諸々の社会活動や、迷惑行為となる車の運転などが曖昧化している。各自の個人判断に委ねられて、言葉は悪いが"野放し"である。

 自動車業界を重要なスポンサーとする歴代保守政権の思惑もあって、何歳までを適齢とするかの運転免許制度は、長く変更されずに現在に到っている。人間誰でもが年老いる。身体機能と運動能力の減退は誰の目にも明らかだ。どのような新技術を以てしても、混雑する公道での交通事故を防止することは難しい。何や可やと理屈を捏ね廻す前に、目の前の現実をこそ直視すべきだ。事故に巻き込まれて死亡した人は還らないのである。

 選挙時の高齢者票を意識する余り、肝心の人間社会のルールが歪曲されているのは異常事態である。政府が検討している安全装置つき車両限定免許などは手ぬるい。高齢ドライバーによる交通事故を排除・根絶できないなら、今更何をか況んやである。目の前で多くの無関係な犠牲者が出ている現実は、この国が何ゆえ先進法治国家と言えるのかを問うている。直ちに法制度を改正して、運転免許を一律70歳を制限年齢にすべきと考える。是非を超えて、それ以外に事故を排除・根絶する方法はないことを肝に銘じるべきだ。

 高齢ドライバーの過失事故は、今この瞬間にもどこかで起きていることに眼を向けねばならない!!!