獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

「セピア色の情景」余話

 読者の方には申し訳ないが、老人の話は概してつまらないものが多い。古いものを指して「セピア色」という表現があるが、我流に解釈すればこれは少し美的すぎる嫌いがある。絵具のどれを探しても「セピア」という色はない。写真の分野にはセピアンカラーという現像と表現があるが、他の分野には明確な定義がない。

 古いものを"一束一絡げ"で「セピア」と呼ぶのだとすると、人間も高齢化すると"セピアン人"になるのだろうかと苦笑した。何ゆえ「セピア」に拘るのかというと、滅多に夢を見ることがない老人が二晩続けて青春時代の夢を見た。生来寝付きが悪いので睡眠薬を常用しているが、その精で普段は夢を見ることがないのである。

 青春時代には決まって異性関係が登場するが、私の場合も幾人かの女性たちと関わり合った。正確に覚えてはいないが総体的人数は多分20人前後だと思う。数の大小は関係ないのだが、その中で忘れ難い女性が何人かいる。久々に見た夢はその忘れ難い女性の一人が登場する夢だった。年甲斐もなく体が熱くなって夜半に目が覚めた。

 昭和30年代の中頃1960年代初頭の話である。世の中が騒然となった有名な「60年安保」の年である。前後左右どちらを向いても「平和」という文字だらけの現在からでは、想像するだに難しい貧しく多難な時代であった。大学進学率が社会の重要テーマであった時代で、大学生たちはそれぞれに思い描く未来社会へ向かって夢を抱いていた。

 ハッキリと自覚は出来ないものの、行く末に待っているであろう豊かな時代に胸を膨らませていた。学ぶことの意義がヒリヒリと体に突き刺さるような刺激になって、"怠惰"とは凡そ無縁な学生生活を送っていた。「60年安保」が実効性なく終わりを告げて、何かしら"けだるい倦怠"に全身が包まれているような、そんな気分であった。

 どこにでもあるごくありふれた若い男女の出会いがあり、私はその女性と親しくなった。人間の思い出とは都合が良いものである。過ぎ去った長い歳月がザラザラした部分を消して、至って手触りが良い記憶になって残る。私と彼女との関わりもまたそうで、実像以上に美化されて妙に生々しく甦るのである。

 不思議な出会いで始まった不思議な顛末は、現実なのか、夢幻なのか、定かでないままに記憶の彼方へ遠のいた。その遠い記憶が目の前の現実のように再現されて、上気した彼女の体温や激しく濡れた秘部の手触りまでが甦った。久々に忘れていた性感が戻ったかのような錯覚を覚えた。

 誰にも忘れ難い記憶がお有りだろう。その色がセピアであろうとピンクであろうと、過ぎ去った日々は戻ってこない。思いがけず「夢の玉手箱」に出合ったら、迷わずその蜃気楼に酔い、桃源郷を彷徨うのも悪くはない。寒い真冬の夜も電気毛布の温もりのように、暖かい気分で過ごせること必定である。