獨庵放言録

群れず流されず時代を見つめ続ける老人の、骨太で繊細な風変わりブログ!!!

人間の幸せと日本文化

 人間の幸せって何だろうと、ふと思うことが多くなった。年輪を重ねた精もあるが、必ずしもそうとばかりは言えないところに今の時代や世相が関係している。人はそれぞれに考え方や感じ方が違うので、一概に同じテーブルで論じるには無理があるが、世代や人種を超えて共通する点が数多くあるようだ。

 人種という表現をしたが、何も外国人のことではない。日本人同士でも、極端に言えば同じ家族であっても、全く考えや感じ方が違う例が決して珍しくはない時代だ。にも関わらず現代人は概して同じ顔や服装の人を多く見かける。よく見るとそれぞれに違うのだが、遠目で眺めると何故か不思議に同じ顔に見える。

 多分当人同士は違うと思っているらしいが、簡単にその違いを説明できる人は少ないだろう。グローバル時代や国際時代などと持て囃されているが、そこで明瞭に外国人との違いを説明できるかと問われると殆どの日本人は戸惑うだろう。日本人として日本語を正しく理解し、正しく使えているだろうか。日本人が使う日本語に誇りを持てるか。

 日本文化とは何かと問われて即座に返答できるだろうか。和食の寿司や天ぷらが日本を代表する文化だと何となく理解はしていても、どうしてそれが日本文化なのかと問われれば困惑するだろう。ラーメンが日本文化であるか否かにも各論があろう。身に纏っている洋服の何が日本文化ですかと問われれば、どう答えるであろうか。

 実際に住んでいる戸建て住宅やマンションの何が日本文化ですかと問われ、すぐに言葉が思い浮かぶだろうか。戦前には多くあった和風の建築様式が、戦後はまるで申し合わせたように洋風に変わった。それも気候や風土が大幅に違う北海道や九州にも、何故か不思議だが同じ家が建っている。季節が変われば私達の服装はそれに合わせて変わるのだが、建築様式は全国共通で極論すれば夏と冬が同居している。

 善し悪しは別としてかつての日本には各地に郷土色豊かな方言があった。言葉ばかりでなく、生活そのものにもそれぞれの土地の特色が色濃くあった。テレビ放送が始まって東京の生活がドラマなどで伝わると、北海道から九州まで同じように画一化されて、日本全土に「ミニ東京」が出来て広まった。同時に方言が姿を消したのである。

 新旧の文化にはそれぞれの長所と短所がある。合理的で効率の良い暮らしがそのまま「幸せな暮らし」であるかどうかが、どの程度真剣に議論されただろうか。吹く風に導かれて、それが時代の要請だとばかりに、訳も分からず安易に受け入れては居なかっただろうか。人間は一人一人皆顔が違うのに、何となく他人に合わせて同化しては居ないだろうか。

 幸せとはこの色だと誰かに決めつけられて、自分に合うかどうかも考えずに真似ては居ないか。老若男女を問わずに同じ道具を買わされ使わせられて、それが個性的な自分の暮らしだと誤解しては居ないか。世に乱れ飛ぶ有り余る情報に振り回されて、ピエロの如く主体性を持てぬまま無為に手足を動かしては居ないか。

 幸せって何だろうと考えると、一人一人の人間が一人一人の考えや暮らしを持つことではないかと思えてくる。誰かのお節介な利益に奉仕させられるのではない、自分らしい暮らしが出来ていれば、その総体として日本人の日本文化が息づくのではないかと思い当たる。忙しい日常の中で少しでも、誰の影響も受けない本来の自分の時間を持つことが、若しかしたら一番重要に思えてくるのである。